篠山城・八上城:城下町巡り<>「ウイズささやま」主催の日本遺産のイベント

12月4日・7日と続けて参加した。
「日本遺産をめぐる篠山ウォーキングツアー」


 

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篠山城は1609年、徳川家康の『天下普請』による築城。
 1605年に将軍職を秀忠に譲っているので、家康は「大御所」と呼ばれていた。
 この時、八上城に居た「松平康重」が城主となる。
篠山市HPより>篠山城築城の構想:https://www.city.sasayama.hyogo.jp/osyoin/mono01.html

この「松平康重」は1568年の生まれ
  家康は1566年、松平から徳川と改姓した。
 *もちろん、康重と名乗ったのは後のことで・・・
  ーー駿河国三枚橋城松平康親の長男。天正11年(1583年3月16日元服の際に家康から「康」の偏諱を授かり康次、のちに康重と改めた。ーーとある。

岡崎城に戻った家康(当時は元康)
 ー1560年(永禄3年):桶狭間の戦い今川義元が敗死 
   1562年(永禄5年):妻・築山殿は岡崎に戻るが、
                       岡崎城に入れず・・
   1567年(永禄10年):長男・信康(9歳)は岡崎城に戻る
                (信長の娘と結婚)
   1570年(元亀元年):築山殿が岡崎城に入る。
                岡崎城主は信康
   1570年(元亀元年):家康は浜松城に移る
    ~~信康は1579年(天正7年)、
           信長に謀反の疑いをかけられて自刃
      
康重は、家康の侍女であって、松平康親に嫁したときに既に懐妊していたといわれ、家康から懐刀を受けていたとか、家康の落胤説も。
  --1568年生まれということは、信康は岡崎城に居て、築山殿は岡崎には居たが城外に。
 
 *築山殿(生年不詳 - 天正7年8月29日1579年9月19日
  • 長男・松平信康(母:築山殿)
    生誕永禄2年3月6日1559年4月13日
    死没天正7年9月15日1579年10月5日
  • 二男・結城秀康(母:小督局)
    生誕天正2年2月8日1574年3月1日
    死没慶長12年閏4月8日1607年6月2日
  • 三男・徳川秀忠(母:西郷局)
    生誕天正7年4月7日1579年5月2日
    死没寛永9年1月24日1632年3月14日

仮説:もし家康の子供だったら、信康に次ぐ二男だったことになる。



まずは「八上城」に挑戦。高城山登山。
 集合して、みんなで掛け声!!
  「ウイズささやま」!! 『オー!!』と。
①takasiroyama1 (448x298) 

②DSC09191 (335x448) 
説明を受けながら登り、途中で眼下に街並みが!

③takasiroyama3 (448x317) 

頑張っって登り、説明を受ける。この繰り返し・・・

④DSC09196 (448x325) 

そして休憩は、眼下に広がる・・・・
④DSC09198 (448x327) 

⑤DSC09211 (448x336)

この眺望が、疲れを忘れさせる・・・・

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頂上(本丸)で、食事。。

⑦DSC09217 (336x448) 

当時は樹木もないことから、
    町の広がりを想像して撮影。

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伝説の井戸など見ながら・・・・

下山して、西に廻り、当初の館があっただろう「蕪丸」址へ。

⑨takasiroyama9 (448x317) 

ーー最後の下山ルートは、ややキツかったが、全員無事!!
    中世の城を後にして、バス移動。
 近世の城・篠山城

⑩大書院 (448x316) 

 いわゆる「上段の間」の上がらせていただき、
     みなそれぞれ殿様気分を(笑!)・・・・

12月4日は、この二つの城址を巡った。
 一つのまちに「中世の山城と近世の平城」があることが珍しいこと。

 駆け足気味の城巡りであったが、貴重な体験もでき楽しい一日であった。

続いて7日の城下町巡り

ますは「青山歴史村」・「デカンショ館
ウイズささやま」のHP>青山歴史村http://www.withsasayama.jp/REKIBUN/aoyama_top.htm

ウイズささやま」のHP>デカンショ館http://www.withsasayama.jp/dekansyo/index.htm

⑪青山歴史村 (448x317) 

短い時間であったが、まさに「楽しい!!」。

 次に「安間家
ウイズささやま」のHP>安間家http://www.withsasayama.jp/REKIBUN/anma_top.htm

⑫安間家 (448x296) 

「南馬出」の堀側を廻り、かつての「黒岡川」のあとを散策しながら、河原町へ。
 
 この「黒岡川」は、築城時、篠山川に直流していた川を直角に曲げて、外堀の更に南側を流し、そしてその南側に「篠山川(大芋川)」と、築城の際に事実上の堀としたもの。。。
  ---今は、洪水の被害をなくす意味で、篠山川にまた直流させている

⑬南馬出 (448x296) 


「河原町」
  元は篠山川の流域であったが、築城時、土手を築き流れを一段南側にし、その跡地の街並み。

  先に書いた、「黒岡川の跡地」=散歩道も、元々は「篠山川」の流域であったのであり、築城時、直流していた「黒岡川」をそこに流したと考えるのが自然のことかと・・・・

その河原町で、『山車』を見学させてもらい、街を散歩。
 「袖ウダツ」が河原町の特徴の一つだと説明を受けた。
 

⑭河原町 (448x296)

 「負け嫌い稲荷」で有名な王地山の麓に「陶器所」
   藩主が愛した「磁器」。
ウイズささやま」のHP>王地山陶器所:http://www.withsasayama.jp/ojiyama/index.htm

⑮陶器所 (448x317) 


昼食後、ぶらりと・・・・
⑯DSC09345 (448x336) 

ココも「負け嫌い稲荷」

⑯DSC09346 (322x448) 

この「又四郎」は歴史的に興味深い。

最後は「歴史美術館
  もとは裁判所・。
「ウイズささやま」のHP>歴史美術館http://www.withsasayama.jp/REKIBUN/rekibi_top.htm

⑰歴史美術館 (448x291) 

ココのガラス「ギヤマンガラス」と言うのだそうだ!!
 
 二日の案内を頂いて、頭がパンクしそうだ(笑!)

   ありがとうございました。


参考に・・・・

篠山市のHP>八上城悲歌 丹波富士・高城山:https://www.city.sasayama.hyogo.jp/siryositu/yakami03.html

テーマ : 丹波篠山
ジャンル : 地域情報

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是非、篠山においでください。
勝手な情報がお役に立てば、良いのですが・・・・

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