- 2014-07-09 :
- 《松平康信の多紀33観音を巡りたい(隊)》
亀井山蔵六寺 貝田にある多紀33観音17番
その時は知らなかった。
「多紀33観音」の存在を・・・・
何のことやらわからず・・・・・・・
昨年の秋、「ふるさとを知ろう」という企画で、中野卓郎先生に案内を受けたのだが、・・・・・・
ブログ:http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-344.html
亀井山蔵六寺。


すごく立派な薬師如来像に見とれて、おそらくいろいろ説明があったんだろうが、記憶がない・・・・
----撮影禁止だったので、画像はありません。---
市のHPより・亀井山蔵六寺(曹洞宗)(貝田):http://www.city.sasayama.hyogo.jp/rekishi/53sasa/53081.html
「亀井山」の『亀』。 「蔵六寺」の蔵六とは『亀』のことだそうで・・・・。
・・・・・・・古くは、『亀』は占いの云々と日本史で習ったことがあり、ひょっとして、もっと古代の時代、そういう地域のひとつだったかも知れない(全くの推測ですが・・・・)

ぜひとも、もう一度訪ねてみたい・・・・・


地名の「貝田」も、この地域で珍しいかと・・・・・
いろいろな説があるとのことだが・・・・・
京都から亀岡を、更に、この地域の南・福住での激戦のあとのこと。
その北の地域に残る俗謡として、梶村文弥氏の「丹波篠山とっておきのお話Ⅲ」に紹介説明されていある。
***『井串(いぐし)極楽、細工所地獄、塩岡(しおか)・岩が鼻立ち地獄』
---明智光秀の天正5年の丹波攻めの。
細工所城・荒木山城守氏香(ウジヨシ)との戦い。
井串地区に逃げたものは、橋の下などに隠れ助かり、
細工所城下では全部殺され、
塩岡・岩が鼻方面は追撃され、勇ましく戦うも、立ちながら死んでいった」という意味だそうだ。
それだけ、激戦だったということ。。。。
その中で、蔵六寺は何とか・・・・・・
「多紀33観音」の存在を・・・・
何のことやらわからず・・・・・・・
昨年の秋、「ふるさとを知ろう」という企画で、中野卓郎先生に案内を受けたのだが、・・・・・・
ブログ:http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-344.html
亀井山蔵六寺。


すごく立派な薬師如来像に見とれて、おそらくいろいろ説明があったんだろうが、記憶がない・・・・
----撮影禁止だったので、画像はありません。---
市のHPより・亀井山蔵六寺(曹洞宗)(貝田):http://www.city.sasayama.hyogo.jp/rekishi/53sasa/53081.html
「亀井山」の『亀』。 「蔵六寺」の蔵六とは『亀』のことだそうで・・・・。
・・・・・・・古くは、『亀』は占いの云々と日本史で習ったことがあり、ひょっとして、もっと古代の時代、そういう地域のひとつだったかも知れない(全くの推測ですが・・・・)

ぜひとも、もう一度訪ねてみたい・・・・・


地名の「貝田」も、この地域で珍しいかと・・・・・
いろいろな説があるとのことだが・・・・・
京都から亀岡を、更に、この地域の南・福住での激戦のあとのこと。
その北の地域に残る俗謡として、梶村文弥氏の「丹波篠山とっておきのお話Ⅲ」に紹介説明されていある。
***『井串(いぐし)極楽、細工所地獄、塩岡(しおか)・岩が鼻立ち地獄』
---明智光秀の天正5年の丹波攻めの。
細工所城・荒木山城守氏香(ウジヨシ)との戦い。
井串地区に逃げたものは、橋の下などに隠れ助かり、
細工所城下では全部殺され、
塩岡・岩が鼻方面は追撃され、勇ましく戦うも、立ちながら死んでいった」という意味だそうだ。
それだけ、激戦だったということ。。。。
その中で、蔵六寺は何とか・・・・・・