篠山市福住 重伝建地区を現地研修 

6月21日(土) 何とか雨は降るのを待ってくれました。

 観光ボランティアガイド【ディスカバー篠山グループ】の 仲間と一緒に、現地研修。

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  (元国鉄篠山線・福住駅のモニュメントで記念写真。
      
 駅はこの後ろバイバスあたりにあったとのこと) 
   -- 当時は【ふくずみ】だったそうで、
      地名は【ふくすみ】・・・・・・・ 
  個人的には『福』が『すむ=住む』で、 
   何事も濁らないほうが良いかと・・・・


篠山城跡三の丸に集合し、福住地区へ9時半に出発。
 傘にカッパを用意しはしたが、何とか持ちそうな気配。
山城探索も計画されていたが、熊情報もあり、山城は中止。
  途中、波々伯部神社や古い宝篋印塔など見学。
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   福住小学校前に到着。
 
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 枕木を埋めて、花壇作りをしたのを思い出す・・・・・ 
  ここで、地元のガイドグループの方々と合流。
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  福住町並み案内人 (観光ボランティアガイド)
    —   電話 (079) 506-3313 

篠山城跡周りの河原町の妻入り商家群・武家屋敷通りに続き、
市内2地区目となる【重要伝統的建造物群保存地区】となった 

福住地区に「町の案内グループ」を結成された。
案内を受けながら、あちこち散策した。 

福住の町の重要なポイントして、水路・水対策が歴史の中であったのかと感じた。
それぞれの建物の周りには水路が残っており、
説明によれば、今の篠山東雲高校の前に流れている川もかつては大きく迂回していたとのこと。

 
水田も一部は湿地帯のような所もあったそうだが、概ね良好な環境で。。。

かつては、町並みの家々がそれぞれ「お店」だったそうで、
八上城下町であった当時の八上地区と良く似ているのかなと・・・・ 
大きく違うのは、城下町ではなく、宿場町であることかと・・・・

農村でありながら、宿場町であり、随分と賑わった時代もあったとのこと。

京都から山陰道の経路であり、重要な地点だったと・・・・ 
かつての【お店の名前とか様子】を現在の家の前に 
 掲示できれば良いなと話していたら、検討中とのことだった。

お店など営業されている旧家で、建物の見学できるところがあれば、とも思った。

住吉神社
   
鐘楼は篠山城主・青山氏から寄進を受けた古い建造物だとのこと。
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 庭を見せてもらった。昔はおそらく白い砂で・・・・・
 
思わぬものを拝観させてもらった。 
 ちょうど神社の清掃されている時で、・・・・・・
  伊勢神宮の遷宮(昭和四年)の時の
   『鰹木(かつおぎ)』が保存されていた。
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このあと、福楽里(ふらり)さんのお弁当をいただいた。
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 午後、禅昌寺へ。
 
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 ここに祀ってある『白井半左衛門』の伝承は興味深い。。。。
 大火があったのが1748年。
この年は松平家と青山家の交代のあった年。。。 

裏山になる籾井城跡には登ることはなかったが、
その中途にある忠魂碑まで行ったら、なんと大砲が・・・
まさか、西園寺公望がやってきたときのものではなかろうが・・・・・
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 明治維新の際、
 西園寺公望が山陰道鎮撫使総督として
  構えた本陣が残っていれば、
更に歴史を感じることができるのだけど、残念なことである

テーマ : 丹波篠山
ジャンル : 地域情報

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是非、篠山においでください。
勝手な情報がお役に立てば、良いのですが・・・・

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