伊勢三郎の供養塔  源義経の四天王

源義経の四天王

 詳しくもないので、ちょっと勉強しなければならないが・・・

 篠山市内あちこち「義経伝説」がたくさん。

   京に近い丹波ならではのことかも・・・・・

    あるいは、「判官びいき」そのもので、後の世のことかも・・・


  いずれにしても、訪ねてみたかった。

3月7日(金)ちょっと道を探しながら(と言うより迷いながら)、着いたけれど、駐車できる場所を探してやっと・・・。


 小高い丘(むしろ、道路整備のため削られている小山)にちいさな建物が見えた。

   道路際に案内表示板。

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 しっかりとした枕木で整備された階段を上った。

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 お堂は鍵がかかっており、拝観できなかった。

     その横に残されていた。誰の供養のものかは判らないが・・・・P3070160 (448x336)


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案内板に書いてある100メートル奥への道は直ぐに判ったが、蛇の苦手な自分には、この季節でもあり、かつ綺麗に整備されていたから、地元の方に感謝しながら、奥のほうへ進んだ。。


害獣よけのフェンスがあり、そこから入らせていただき、前方は元お寺があったとされる広場が。

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  その木立の向こうに、供養塔が見えてきた。

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 どういうわけで、この供養塔が〔伊勢三郎〕のものかは判らないが、当時の人々がそう信じて守ってきた何かがあるのだろうかと思った。

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 この地図(篠山市歴史文化基本構想の資料集)の上部にある「観音堂」「福応寺宝篋印塔」がそれです。

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参考に篠山市のHPから『伊勢三郎の供養等(篠山町西浜谷)』



「多紀郷土史考」には記載がある。

   この「伊勢三郎義盛」の供養塔が湧泉山(遊仙寺)福応寺にあったとき、一時(年月日不詳)、城主(松平康信若狭守)の菩提寺(東岡屋光忠寺)に運ばれていたが、その後、村で悪疾が流行したので、元に戻して欲しいとの願い文書があるとのことだ。

  ----松平康信は慶安2年(1649年)に篠山に入部

 寛延元年(1748年)に戻して欲しいとの申し出があり、そのことについて安永三年(1774年)の文書が転載されている。

  ----寛延元年(1748年)は松平家と青山家が領地替えになり、亀山(現亀岡)に。

  ----光忠寺松平康信が前領地・高槻から入部するときに移建され、その後1749年に亀山に移建された。


   興味深い。---上巻127ページ 下巻208ページ

テーマ : 丹波篠山
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是非、篠山においでください。
勝手な情報がお役に立てば、良いのですが・・・・

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