〔三岳の修験道〕について少し勉強してみましたが・・・

1482年(文明14年)、日本は応仁が終わって、しかしながら混乱が続いていた頃。

 「下剋上」の風潮が始まった頃・・・・

    秩序も何もない頃か??
 
     1481年、あの一休さんが88歳の生涯を閉じたと歴史書にある。

 東寺領荘園だった、現在の大山地区では、中沢帯刀元基が年貢から上納する約束で代官に登用された。

    罷免された元の代官・進藤修理亮貞利が守護職・細川政元に助力を求め、混乱を深めた。


そうした頃の、出来事。

  修験道の三岳が吉野大峰山の僧兵300人によって廃滅された。

 
    元々、875年(貞観17年)、「妙理大権現修枢道道場建立」したと、『草山村史』の年表にある。

      大峰山の修験道に対抗したわけでもないのだろうが、都に近いということもあって、随分盛んになっていた。

       で、今流に言うと、大峰山に挨拶がないということが、争いの始まりだったそうだ・・・。

     ちょうど世が乱れており、いわゆる支配体制も弱肉強食の感で、
         あっという間に焼き滅ぼされたのだろうか・・・。信じられない感じだが・・・。


  多紀郷土史考に書かれているが、舒明天皇元年(629年)に、多くの寺を建てたと。

    平石寺--火打石の楞厳寺の前名
    弘誓寺--草山
    極楽寺--槇が峰の本坊(宇土)
    浄法寺--黒田
    興法寺--上板井
    西光寺--今田の西山・螺が嶽に在った寺
    瑞林寺--小枕の奥に瑞林寺谷という名がある
    東明寺--草の上の山上今もお堂(後世に建てたもの)がある

      と、説明を書かれていて、いつかは現地に行って見たいものだと思う。

     これらの寺が後に、山岳仏教の始まりにつながるのだという。

      高仙寺・東窟寺・竜蔵寺・長流寺(文保寺)・三岳山大岳寺・・・


 1481年に滅ぼされた時、
   仏像を小僧さんがかついで、あちこちのお寺に逃げ込んだという伝承が、市内あちこちに残っていてる。
 

######### 読みかじって、〔三岳の修験道〕 をちょっとだけ・・・

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奥田楽々斎 『多紀郷土史考 上巻』
 梶村文弥  『戦国動乱の時代と丹波の支配者たち』
 草山郷づくり協議会  『村史』

     

テーマ : 丹波篠山
ジャンル : 地域情報

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是非、篠山においでください。
勝手な情報がお役に立てば、良いのですが・・・・

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