篠山の三つの橋 川越えの難所

篠山川

 かつては「おくも川」と言っていたと。

  『大雲』・『大芋』と漢字はあるのだが、
      上流・水源地からそうなっていたのだそうだ。

      いくつもの川が篠山市内で合流して、
            一旦北に向かい、加古川となる。

 
 その篠山川に橋の歴史があちこちで残っている。

  当時は水量も豊かであったろうし、
        橋も満足なものはなく、
          渡しで川越えをしていた。

    で、命を懸けて無理をした人々もいただろう。。


  図書館で借りた『丹南町史』にある。

 篠山城下の南にある『監物橋

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   この橋の命名は『渋谷監物』という人の名前からだと。

   もちろん防備のため橋は作らず、
     日常生活の不自由さは犠牲にされたものであった。

    川に杭を打ち、その上に板を渡して、
             出水の時は流されるというもの。

     で、鎖や綱で流されないように工夫はしていたものだろう。

    人一人ががやっと通れるほどのもので、
       落ちて命を落とすこともあったに違いない。

    現在の橋はコンクリート橋で、
     以前の木橋は今の位置より少し川上にあったと残されているが、
        明治になってやっと本格的な橋になったと書かれている。



 現在の東吹と岡屋に架かる『渡瀬橋

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    江戸時代以前から、
     篠山川に本格的な橋はなかったと言われている。

    ここには『川越え安全』の碑が残っている。

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   しかし、ここは明治時代、
    歩兵第70連隊が設置された関係で重要な橋となった。

    この橋も、本格的な木橋になっても、
     他の橋と同様、何度も大水で流されているとのことだ。

   今の護岸と違い、川幅も違うだろうし、
             大変なことだったのだろう。

    今のコンクリート橋の下流に、
         「軽便鉄道」の橋の基礎跡が残っている。

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     この鉄道も、軍隊を当てにしたそうだが、
       篠山の駅からみな行進して連隊に移動し、
         当てが外れたという話も伝わっている。





 大山下に川越えの難所

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  西古佐から川代体育館近くに渡る『一ノ瀬橋
    この橋の近くに『川代ダム』ができ、
     その際の工事で随分川は変わったのだろうが
     昔は『人取川』とも呼ばれ、
      無理に川越えして命を落としたとのことだ。

  篠山の民話集 > 丹波の人取り川
    http://www.city.sasayama.hyogo.jp/minwa/city/sa_minwa22.html



  「PC斜張橋」として『メロディ橋』とも言われ、
    欄干に鍵盤が用意され、それを叩くことで、
         『デカンショ節・茶つみ』が聞けた。
      ーーーーちょっと難しかった。

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歴史の中で、義経も、尊氏もこの篠山川に悩まされたかも・・・・

 そして、八上城落城の際、
      落ち延びたと言われる波多野秀治の嫡子も。


そして、この川沿いにある「弁天さん」も関係あるかもと。
    
      

テーマ : 丹波篠山
ジャンル : 地域情報

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Author:篠山スマイル
是非、篠山においでください。
勝手な情報がお役に立てば、良いのですが・・・・

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