「松平又四郎」 

公民館主催の「古文書入門講座

 本来の目的は、古文書が読めるようになるための講座であることは言うまでもないこと・・・

  --講師の「中野卓郎先生」の話が楽しいという先輩の勧めで、毎年申し込んでいる。--

今年度の第一回の講座が6月3日(月)にあり、その教材が興味深かった。

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篠山第四代藩主・松平康信の時代

 康信の甥・松平又四郎

   --康信は長男で、5男の信昌(紀伊大納言頼宣卿に仕えていた)の子・松平又四郎

  この又四郎が康信のもとに身を寄せていた。

    ・・・・なぜ、篠山に住むことになったのか??

  藩主松平家の威光を笠に無茶苦茶だった。

    それにパワーがあったとか・・・

    ----いわゆる手が付けられない暴れ者か・・・


 
 よほど困ったのか? この甥を殺してしまうことになった。

   --康信は70歳まで藩主として、いろいろ財政に力を入れ、
       倉本池の築造、丹波茶・立杭焼きの充実、社寺の再建とか修復、
       隠棲後、後見時代杉地区の干拓など、歴史的な事業をし83歳で死亡--

  万治2年10月21日、波々伯部神社に藩主の名代として代参を命じ、
    上宿で待ち伏せ、惨殺したと・・・・


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その殺害現場には『血寄地蔵』として村人が祠を立て供養したと。。

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  現在の石の地蔵さんは二百回忌の安政5年(1858年)に
      亀山藩(亀岡市)に移封になっていた形原松平家にも
             許可願いを出して建立したものだそうだ。

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「八上地区」にある『阿弥陀寺』に葬ることとなり、
          藩主・康信は供養田を寄進したと。

  ---お寺に行ったけれど、
      わからないこともあり、もう一度訪ねてみたい。

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 直接は関係ないのだろうけれど、
     お寺からチョッと離れた道の角にも、「お地蔵さん(?)」があった。

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この松平又四郎はなぜ殺されなかったのかは、よく解らないが・・・

 篠山城の鬼門に祭ってあることにも不思議さがあり、
   それは『頼尊又四郎稲荷神社』となっていることにも不思議なことだ。

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負けきらい稲荷』の伝説のひとつのお稲荷さんで、興味深い。


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 梶村文弥氏の最近の著書『丹波篠山とっておきの話Ⅳ・丹波篠山城と松平氏』のなかで
    「若くして散った 松平又四郎」で詳しく書かれている。
 

テーマ : 丹波篠山
ジャンル : 地域情報

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是非、篠山においでください。
勝手な情報がお役に立てば、良いのですが・・・・

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