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朝雪なれどマグロ解体ショーに参加

予約していた朝はだった

六古窯で有名な今田町の丹波焼(立杭焼)の陶芸家が、マグロの解体師の資格を得て、地元で初めての解体ショーをされるニュースを知り申し込んだ(参加費3000円)
 丹波新聞(2024/04/04の記事)>マグロ解体ショウ 


朝一番、外を見るとだった


20240321朝雪IMG_2024-03-21-06-53-18-534


 戸外で開催予定だったので、心配が・・・・


はやんだものの寒さは残った


午後になっても寒い・・・・


 現地に早々に着いたーーー実質一番だったが、車中で待機していたので、2番目となった(笑)


受付で試食の抽選券を貰った


時間がたつとドンドンと来場されて、いよいよ開催となった

20240321マグロ解体ショウ_174958-COLLAGE


解体される途中での「中落ち」の試食の抽選は外れた・・・


 マグロの寿司をいただき、陶芸家の作品(お皿)は記念に持ち帰り

  (正直、マグロは苦手の食べ物の一つであるが、美味しかった!!)



帰路、酒粕を購入しようと、狩場酒造に寄った

 何度も来ているのだが、今回初めて気づいた


道路を挟んでちょっと向こうにお堂があったのだが、何が無釣ってあるのか判らない・・・・

20240321狩場酒造近くのお堂_174619-COLLAGE



 マグロは無理だが(笑)、美味しそうな鯛か何かを捌いて刺身にして、いただいた皿に載せて、食べてみたいなと・・・・

 

テーマ : 丹波篠山
ジャンル : 地域情報

文化顕彰会で八上地区を案内してもらう

久しぶりに参加できた「文化顕彰会
今回は池田氏の案内で八上地区を廻るとのこと。

あちこち訪ねたことはあるが、いろいろと説明を聞くことができると期待いっぱい

八上城址(高城山)登山用駐車場から出発
20231216八上城址登山用駐車場KIMG9266t

まず八上内の『春日神社』
2021‐02‐06のブログ>八上内の春日神社、十念寺  20210206_182425-COLLAGE.jpg 20210206_182505-COLLAGE.jpg
20231216春日神社境内の高城市松稲荷神社KIMG9271

「春日神社」この境内に「高城市松稲荷神社」が移築されたとあるが、どの社がそれなのか? 他の社はどこで祀ってあったのか? 判らないとのこと・・・・
2013‐11‐27のブログ>王地山 負けきらい稲荷 負け嫌い稲荷取り組み表 (448x435) 
 「頭取 高城市松」と
市のHP>文化財>高城市松稲荷神社
ーーもとは、八上上村の長亀山石心寺の裏に祠があったのをここに移したものという。

「主膳屋敷跡」
20231216八上城下の主膳屋敷跡KIMG9275


篠山城の築城と同時に、この八上城は破壊された
 そのわずかに残っている遺構を案内してもらいながら、西側に出ると山裾に湿地帯が少し残っていた。ココは堀の跡だとのこと。

奥谷川が流れているので利用したのだろう・・・
20231216八上内の奥谷川に架かる名不詳橋KIMG9278
橋の名前不詳なのだが、その奥谷川に沿って(たぶん旧道かな)歩いた。

『八上村道路元標』
 大正時代の遺跡のひとつ
  市内には数基の元標が所在不明となっているそうで、残念・・・
20231216八上内の八上村道路元標KIMG9279

2018‐12‐10のブログ>篠楽の仲間と八上地区の東部を散策 90八上上 (3)_2021-03-02_11_17_20

国道を渡って、チョット歩くと・・・

『元 十念寺橋跡
 講師の池田さんの説明で『橋』があった所とのこと
20231216八上内の元十念寺橋跡KIMG9280
 信じられないくらいビックリ。
この橋の名前のように、「十念寺」がこの付近にあったとのこと・・・

帰宅後、調べた
元十念寺橋跡の航空写真
地理院地図で比較してみると、1960年代の奥谷川の流れは、信じられないほど耕地整理の関係で変わっているのだと・・・。戦後間もなくの米軍による空中写真によっても判る・・・。
2022‐01‐22のブログ>八上地区の西をぶらり散歩>十念寺橋 KIMG5871.jpg
「十念寺橋」は現在国道に架かっている


旧街道を東に向かって歩き始めた

『十念寺』
20231216八上内の十念寺KIMG9284~2
一緒に参加されていた十念寺の住職から説明を受けた。
ーー欄間を修繕中とのことだが、「砂摺り・胡粉摺り」で杉板に「唐獅子牡丹図」が描かれているのだそうだ・・・

 初めて『月牌』(がっぱい)を知った。毎月死者の忌日に供養してもらうための位牌だそうだ・・・・
 

『東陽寺』
2021‐04‐12のブログ>八上内・東陽寺を目指して 八上
20231216八上内の東陽寺と虚空蔵堂20231217_083624-COLLAGE
ちょっと離れた場所にお堂があり、以前訪ねた時は判らなかったのだが、今回十念寺の住職が『虚空蔵堂』であり管理されていると教えていただいた。

その『虚空蔵堂』の向こうに小さな川があり、その向こうあたりに現在魚屋町にある「誓願寺」があったとのこと。(篠山城築城の際、移築)


公民館で昼食
20231216八上上公民館KIMG9292



20231216八上上の阿弥陀寺の又四郎お堂KIMG9295~2
松平又四郎を祀ってある祠
 境内の山の手にポツンとあるのだが・・・・
市のHP>文化財・風物・風俗>松平又四郎と地寄地蔵
2013-06-13のブログ>松平又四郎 0613matasiro11
2015-03-26のブログ>亀岡市の光忠寺 2015-03-26 019 (448x244)
 何故、殺されなければならなかったのだろうか、「松平又四郎」のことを教えってもらってから、ず~~っと疑問だった。

 「松平又四郎」は預かった甥っ子となっているが、養子として迎えていたが、その後、嫡男が生まれて、そのことが原因ではないかとの新説を聞いた。なんか説得力のある意見だなと・・・・

図書館で「丹波篠山城と松平氏」(梶村文弥著)を借りた(以前も借りて読んだのだが・・・)
 ---4代城主・形原松平康信の弟・信昌は紀伊大納言頼宣卿に仕えていたが、その嗣子が又四郎ーー

 又四郎は万治2年(1659年)10月、波々伯部神社の祭礼に、藩主の名代として参拝途中、上宿村で惨殺された。

ネットも含めて調べると・・・
康信(1600~1682)には弟がおり、重信・氏信・信忠・信昌・晃玄
康信の正室の長男・典信(1629~1672)
典信は1651年正室を迎えている
典信の諸長子・信孝(1655~1690)は1671年康信の弟・重信の養子となる
   次男・信利(1659~1676)
   三男・信庸(1666~1717)

勝手な妄想なのだが、典信の正室に嫡男がなかなか生まれていない・・・
  ただ入手できる資料では、又四郎の年齢は判らない・・・仮に亡くなった時19歳として1640年生まれ。また、又四郎が篠山に住み始めた時も判らない・・・・

典信22歳の時、正室を迎え入れたのが1651年。1655年、諸長子・信孝が誕生(1671年16歳で重信の養子となる)。婚姻後八年、次男(嗣子)の信利の生まれた年(1659年)に又四郎は惨殺されている。1669年、康信隠居で典信が40歳で家督相続(5代目藩主)。が、3年後に病死。信利が15歳で相続(6代目藩主)もまた3年後1676年病死(婚約者がいたと・・・)。信利の弟・信庸が養嗣子となり7代目藩主(12歳)。



石心寺
20231216八上上の石心寺KIMG9302~2
拝観させていただいた。


20231216八上上の弓月神社KIMG9312~2
彫り物もしっかりしたものだと説明を受けた

この神社までが八上城の範囲であったとのこと

歴史や文化について、しっかりと勉強できた。。。
 もう少し詳しく教えてもらいたいが、予備知識不足で消化できないかも・・・



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ジャンル : 地域情報

城東・多紀の文化財を訪ねて

市中央公民館の主催の「面白ゼミナール」に参加
 抽選で外れていたのだが、キャンセル待ちを予約し、何とか参加できた。

 講師は今井さん

泉地区の八幡神社
20231115泉の八幡神社_153457-COLLAGE

お堂には社殿の裏山に祀ってあったとの「妙見山龍神」も納めてあった。
20231115泉のお堂(妙見山など)_153544-COLLAGE

泉地区と言えば「義経伝説」も有名だが、「キツネ伝説」もまた有名なもの

市のHP>「泉の講山」 源義経が丹波を通過した元暦元年(1184)2月4日泉村の南賀寺に詣でた。
ちょうど当日は寺講の日であったので、義経らは寺講のご馳走の接待を受けた。義経は大いに喜び、「この東の山は何というか」と尋ねた。すると住持は「これはこう山と申しまする」と答えた。そこで義経は「さらば今日の寺講を記念して講山と唱えよ」といったので、以来西から講山、東から甲山、南から神山、北から剛山、と呼ぶようになったと伝えられ、いずれにしても「こう山」に違いはない。現在の地図には「剛山」と書かれている。

市のHP>「狐の恩返し(龍泉寺)」
今年の5月に撮影させていただいたのだが、ココが「龍泉寺跡」かも・・・あるいは「龍泉寺」の遺物かも・・・・
20230521泉の半鐘_133214-COLLAGE


春日江地区の「カヤの木」と石碑
20231115春日江の風景(円満寺あとなど)_154237-COLLAGE
この辺りに神宮寺である「円満寺」があったとのことで、「熊按神社旧跡」の石碑が残っている


春日江地区の熊按神社
20231115春日江の熊按神社_154326-COLLAGE
2011-09-27のブログ>延喜式神社めぐり 延喜式神社
2022-01-02のブログ>泉・佐貫谷・春日江の神社 0102佐貫谷の白山神社     
20231115佐貫谷の白山神社_154436-COLLAGE
二つの祠が祀ってあり、一つは「熊按神社」の『遥拝所』で、『白山神社』は「衣笠山文楽寺」の境内にあったものを移建されたものだそうだ。御神体は「白山妙理権現」で女体とのこと。
 ーーー何度か訪ねたことがあるが、初めて説明を聞き、少し納得できた



東本荘地区の洞光寺
20231115東本荘の洞光寺_154523-COLLAGE
何度も訪ねたことがあるのだが、今回は初めて気づいた。
「春日神社」と石柱があり、少し西にかつてあったとのことらしい・・・


東本荘地区の雲部車塚古墳
2011-11-23のブログ>古墳を訪ねて 古墳ウオーク①
2014-08-17のブログ>池田正男氏の案内で古墳めぐり P8210479 (448x331)
2014-08-26のブログ>雲部車塚古墳の書 P8260534 (331x448)
20231115東本荘の雲部車塚古墳_154559-COLLAGE



細工所地区の北条古墳
20231115細工所の北条古墳_154639-COLLAGE
今回は古墳の上には登ることができなかった
 ーーむかし、たくさんの遺物が発掘されたとのことだが・・・



福井地区の櫛石窓神社
「くしいわまど」と読むのだが、「石」であり「岩」ではない・・
2013-12-03のブログ>櫛石窓神社 DSCF7653 (448x336)
20231115福井の櫛石窓神社(藤井さん)_154759-COLLAGE

地元の藤井氏から説明を受けた

 その時、初めて知ったというか、気づいた。
おそらく市内で唯一の「雷」さんを祀ってあるのだと・・・

『火雷大明神』
20231115福井の火雷大明神_154820-COLLAGE
毎年3月11日に祭礼があるとのこと


神社の境内に入る前に小さな橋がある
『大宮橋』 
 ただ、この小川の名前が判らない・・・・
20231115福井の大宮橋_154705-COLLAGE


神社の注連縄を毎年取り換えておられるとのことだが、その藁がこのところ入手しずらくなっているのだそうだ・・・・稲刈りの機械化によることもあるのだが、普通のうるち米の稲藁では背丈が短く、もち米の草丈が高く葉幅が広く都合が良いのだそうだ・・・しかも、本当は穂ができる前に刈り込んだほうが良いのだとか・・・・・

年末にお手伝いをさせてもらうことにした(手伝いになるか、邪魔になるか・・・)




テーマ : 丹波篠山
ジャンル : 地域情報

「丹波篠山文化顕彰会」のイベント(宮田・板井)

「丹波篠山文化顕彰会」

今回は西紀地区を地元の細見さん中心に案内していただけるとのこと。

予定コースを見ると、既に訪ねたところもあるが参加した。


2012‐08‐17のブログ>足立洌氏による篠山層群での化石の話 20120817足立blog_import_535865ccaa1f3 (2) ブログを検索して思い出したようなことで、化石の講話の内容は恥ずかしながら記憶にない・・・
2014-10-17のブログ>加藤善朗氏の講演のあと宮田地区を探索 PA170287 (448x327) 善導寺の薬師如来仏の講話の中で、天誉覚山の墓碑について触れられ・・・
2017‐11‐10のブログ>赤穂さんに案内してもらった西紀地区 2017-11-10 030 (448x331)  板井地区と宮田地区を丁寧に案内していただいた。
2020‐12‐02のブログ>宮田地区を「かみさん」と散策 20201202宮田の道標
2022‐11‐02のブログ>西谷地区から宮田地区をちょこっと散策 にしき記念病院周辺比較MAP1960年代


西紀支所前に集合し、出発(ゾロゾロと歩いて・・・)


脊椎動物化石発見現場

20230618①脊椎動物化石発見現場-大森作之さん_045925-COLLAGE

  ーーー大森作之氏による詳しい説明を聞いた


西谷地区の顕彰碑と力士碑

20230618②顕彰碑と力士碑-4細見敦子さん_050211-COLLAGE

  ---細見氏の説明で、今更ながらやっと解った、墓地と隣接していること。


「ムラの境界にお札」

20230618③宮田地区東の境界(竹竿にお札)_050336-COLLAGE

  ーームラの東西南北の境界にとのこと・・・初めて見聞した


宮田の地蔵堂

20230618④宮田の地蔵堂_050500-COLLAGE

   ーーー背後の山の斜面にササユリが咲いていた


宮田の力士碑

20230618⑤宮田の力士碑_050758-COLLAGE

  ーー側面に俗名が彫ってあり、案内していただいている細見さんの縁者とのこと


徳本上人碑と庚申塔

20230618⑥宮田の徳本上人碑と庚申塔_051055-COLLAGE

  ーーよく見ると左下に「徳本」と読める。庚申塔は読めない。


末春稲荷神社と所縁の棟瓦

20230618⑦末春稲荷神社(久下さん)_051145-COLLAGE

  ーー同行していただいていた久下さんが祀られたと

「久下さん宅の棟瓦」

20230618⑦久下さん宅の元棟瓦KIMG8246

  ーーー足利尊氏と久下氏との歴史伝承の名残り・・・


宮田の天満宮・戎神社・五葉の松

20230618⑧宮田の天満神社(尾崎天満・岩鼻天満)_051349-COLLAGE20230618⑨天満神社境内の戎神社_051513-COLLAGE20230618⑩五葉の松_051617-COLLAGE


光照寺の宝篋印塔・五輪塔・地蔵堂

20230618⑪宮田・光照寺の宝篋印塔と地蔵堂_052119-COLLAGE


「浄福寺跡の天誉覚山上人碑と松平信孝墓碑」

20230618⑫浄福寺跡の天誉覚山上人碑と松平信孝墓碑_052220-COLLAGE

市のHP>光照寺・宝篋印塔・足利義高の墓 光照寺の写真


「道標」

20230618⑬宮田の道標_052409-COLLAGE

  ーーマチの中心地に建っている(道路整備の影響で、少し移動されたとのこと・・)

市のHP>道標(道標)道しるべの石碑の写真 宮田集落の中央、県道篠山三和線と旧県道篠山長安寺線の交叉点にある道標です。宮田は、中世には市場として、江戸時代には宿場町として賑わった土地柄です。ここを通る西国巡礼の旅人のために、第25番札所「播州清水寺」から第26番札所「丹後成相寺」への道案内のため建てられたものです。高さ145センチメートル、幅30センチメートルの石角柱に東面「なりあい兵主山 」、南面「たしま」、南面「たしま」、西面「すく京いせ」、北面「すくきよ水」と刻まれています。また、この道標には、天保15年(1844)に当時の高屋村「文左衛門」が建立したとの銘も残されています。


西紀支所前に戻り車移動し、「黒豆の館」で弁当

20230618⑭黒豆の館で弁当KIMG8249



午後の部開始:車移動 (お腹を満たし、チョット眠たいが(笑)・・)


「川内多々奴比神社」

20230618⑮下板井の川内多々奴比神社_085724-COLLAGE

20230618⑯川内多々奴比神社境内の垂乳根の銀杏など_085930-COLLAGE

市のHP>河内多々奴比神社(かわうちたたぬひじんじゃ)・二宮神社・たらちねの銀杏・籾塚    「特選神名牒」「神祇志料」といった歴史資料によると、古代より天皇の楯や矛を製作していた氏族集団「楯縫氏」の祖神「彦狭知命」を祀るとあり、楯縫神社が時代とともに転訛し多々奴比となり、祭神も変わったのではないかと思われます。

ーー「川内」と「河内」とあるのですが、市の「歴史文化基本構想資料編」によれば「河内」となっていますので・・・・。 篠山市歴史文化基本構想(資料編)表紙 



「上板井の道標・地蔵・廻国塔・七廻り石」

20230618⑰上板井の道標・地蔵など_090156-COLLAGE

ーー以前訪ねてきたとき「七廻り石」が判らなかった・・・現状半ば埋まっている状況で、川内多々奴比神社の祭りの際、ここまで来て、七廻りして御幣を捧げる石とのこと・・


「板井城址」

20230618⑱上板井の板井城址ー田中豊茂さん_090331-COLLAGE

田中豊茂氏の案内で登った、それなりに登れる道が残っているというか整備されていた

  ---お堂が取り壊されていたのが残念だった

市のHP>板井城址  上板井集落の西北に位置する通称「城山」に営まれた中世の山城で、丹波守護の「山名」が年間に城を築いたとされます。戦国時代末には、「山名小太郎」がこの城を治め、明智の丹波攻めにより、天正6年(1578)に落城したと伝えられています。現状で確認できる郭は、主郭(20×16m方形)、第2郭(19×28m)、
第3郭(20×30m)で、第3郭西側に土塁の痕跡が遺存しています。板井城のある丘陵は周囲を小坂川によって隔絶されており、自然の要害の地を選択し、城が築かれたのでしょう。



「上板井の弘誓寺」

20230618⑲上板井の弘誓寺_090453-COLLAGE20230618⑳弘誓寺境内の赤井刑部幸家墓碑と多宝塔(石塔)_090629-COLLAGE

住職が丁寧に説明していただいた。

市のHP>三尾山弘誓寺     大化年間に「法道仙人」によって創建され、後大同3年(808)に、天台宗の開祖「伝教大師」により中興と伝えられます。その後、文治4年(1188)に焼失しましたが、観音信仰の厚かった三尾山城主「赤井刑部幸家」によって天正年間に再建されたと伝えられます。同寺には、彼が寄進したという涅槃図(市指定文化財)や城中で祀っていたという大日如来座像が残され、境内には彼の墓碑も残されています。



弘誓寺境内で解散となった。。。




解散後、『打坂の大師堂』について尋ねさて貰うことができ、住職によれば、薬師如来と十二神将は公民館に祀ってあるとのことで、既にお堂はなくなっているとのことが解かった
2021-04-27のブログ>ちょっと気になる>打坂の大師堂 西紀町史P759打坂の大師堂_2021-04-07_144204_2021-04-07_14_46_05


ちょっと疲れた・・・久しぶりの戸外活動・・・・帰宅してから考えてみると「熱中症」だったかも・・・・でも、「歴史の浪漫」を感じながら、目いっぱいの妄想を楽しむことができた一日だった。。。。






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今田町立杭での陶器まつり

今田町の立杭地区 丹波焼立杭焼
秋の『陶器まつり』は盛大のなか、春にも企画されている最近

そのたびに寄らせてもらっている「お茶席」
20230503立杭の春期陶器祭お茶接待-COLLAGE
たぶん最初の客だったかな・・・
 美味しかった!!

あちこち、窯元をぶらりぶらりと訪ねてみた・・・

20230503立杭の春期陶器祭 大きな猫さんとIMG_2023-05-03-11-17-01-711
 ちょっと休憩するときに・・・・


20230503陶の郷近くの稲荷さんCOLLAGE
 車を止めさせていただき、お稲荷さん


でも、結局、今回は購入することはなかった・・・・



・・・・中途での風景・・・・

初田川の橋
 もう少し流れていくと、田松川に合流することになる
IMG_2023-05-03初田の橋-10-08-51-221

左の高速道路を越えると初田地区の集落の南側になる。右は農工団地として設定されている農地が広がっている(工場誘致がなかなか難しいみたい・・・・)





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プロフィール

茶介

Author:茶介
丹波篠山に移住して20年以上。  まだまだ知らないことがたくさん・・・

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