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「丹波篠山文化顕彰会」のイベント(宮田・板井)

「丹波篠山文化顕彰会」

今回は西紀地区を地元の細見さん中心に案内していただけるとのこと。

予定コースを見ると、既に訪ねたところもあるが参加した。


2012‐08‐17のブログ>足立洌氏による篠山層群での化石の話 20120817足立blog_import_535865ccaa1f3 (2) ブログを検索して思い出したようなことで、化石の講話の内容は恥ずかしながら記憶にない・・・
2014-10-17のブログ>加藤善朗氏の講演のあと宮田地区を探索 PA170287 (448x327) 善導寺の薬師如来仏の講話の中で、天誉覚山の墓碑について触れられ・・・
2017‐11‐10のブログ>赤穂さんに案内してもらった西紀地区 2017-11-10 030 (448x331)  板井地区と宮田地区を丁寧に案内していただいた。
2020‐12‐02のブログ>宮田地区を「かみさん」と散策 20201202宮田の道標
2022‐11‐02のブログ>西谷地区から宮田地区をちょこっと散策 にしき記念病院周辺比較MAP1960年代


西紀支所前に集合し、出発(ゾロゾロと歩いて・・・)


脊椎動物化石発見現場

20230618①脊椎動物化石発見現場-大森作之さん_045925-COLLAGE

  ーーー大森作之氏による詳しい説明を聞いた


西谷地区の顕彰碑と力士碑

20230618②顕彰碑と力士碑-4細見敦子さん_050211-COLLAGE

  ---細見氏の説明で、今更ながらやっと解った、墓地と隣接していること。


「ムラの境界にお札」

20230618③宮田地区東の境界(竹竿にお札)_050336-COLLAGE

  ーームラの東西南北の境界にとのこと・・・初めて見聞した


宮田の地蔵堂

20230618④宮田の地蔵堂_050500-COLLAGE

   ーーー背後の山の斜面にササユリが咲いていた


宮田の力士碑

20230618⑤宮田の力士碑_050758-COLLAGE

  ーー側面に俗名が彫ってあり、案内していただいている細見さんの縁者とのこと


徳本上人碑と庚申塔

20230618⑥宮田の徳本上人碑と庚申塔_051055-COLLAGE

  ーーよく見ると左下に「徳本」と読める。庚申塔は読めない。


末春稲荷神社と所縁の棟瓦

20230618⑦末春稲荷神社(久下さん)_051145-COLLAGE

  ーー同行していただいていた久下さんが祀られたと

「久下さん宅の棟瓦」

20230618⑦久下さん宅の元棟瓦KIMG8246

  ーーー足利尊氏と久下氏との歴史伝承の名残り・・・


宮田の天満宮・戎神社・五葉の松

20230618⑧宮田の天満神社(尾崎天満・岩鼻天満)_051349-COLLAGE20230618⑨天満神社境内の戎神社_051513-COLLAGE20230618⑩五葉の松_051617-COLLAGE


光照寺の宝篋印塔・五輪塔・地蔵堂

20230618⑪宮田・光照寺の宝篋印塔と地蔵堂_052119-COLLAGE


「浄福寺跡の天誉覚山上人碑と松平信孝墓碑」

20230618⑫浄福寺跡の天誉覚山上人碑と松平信孝墓碑_052220-COLLAGE

市のHP>光照寺・宝篋印塔・足利義高の墓 光照寺の写真


「道標」

20230618⑬宮田の道標_052409-COLLAGE

  ーーマチの中心地に建っている(道路整備の影響で、少し移動されたとのこと・・)

市のHP>道標(道標)道しるべの石碑の写真 宮田集落の中央、県道篠山三和線と旧県道篠山長安寺線の交叉点にある道標です。宮田は、中世には市場として、江戸時代には宿場町として賑わった土地柄です。ここを通る西国巡礼の旅人のために、第25番札所「播州清水寺」から第26番札所「丹後成相寺」への道案内のため建てられたものです。高さ145センチメートル、幅30センチメートルの石角柱に東面「なりあい兵主山 」、南面「たしま」、南面「たしま」、西面「すく京いせ」、北面「すくきよ水」と刻まれています。また、この道標には、天保15年(1844)に当時の高屋村「文左衛門」が建立したとの銘も残されています。


西紀支所前に戻り車移動し、「黒豆の館」で弁当

20230618⑭黒豆の館で弁当KIMG8249



午後の部開始:車移動 (お腹を満たし、チョット眠たいが(笑)・・)


「川内多々奴比神社」

20230618⑮下板井の川内多々奴比神社_085724-COLLAGE

20230618⑯川内多々奴比神社境内の垂乳根の銀杏など_085930-COLLAGE

市のHP>河内多々奴比神社(かわうちたたぬひじんじゃ)・二宮神社・たらちねの銀杏・籾塚    「特選神名牒」「神祇志料」といった歴史資料によると、古代より天皇の楯や矛を製作していた氏族集団「楯縫氏」の祖神「彦狭知命」を祀るとあり、楯縫神社が時代とともに転訛し多々奴比となり、祭神も変わったのではないかと思われます。

ーー「川内」と「河内」とあるのですが、市の「歴史文化基本構想資料編」によれば「河内」となっていますので・・・・。 篠山市歴史文化基本構想(資料編)表紙 



「上板井の道標・地蔵・廻国塔・七廻り石」

20230618⑰上板井の道標・地蔵など_090156-COLLAGE

ーー以前訪ねてきたとき「七廻り石」が判らなかった・・・現状半ば埋まっている状況で、川内多々奴比神社の祭りの際、ここまで来て、七廻りして御幣を捧げる石とのこと・・


「板井城址」

20230618⑱上板井の板井城址ー田中豊茂さん_090331-COLLAGE

田中豊茂氏の案内で登った、それなりに登れる道が残っているというか整備されていた

  ---お堂が取り壊されていたのが残念だった

市のHP>板井城址  上板井集落の西北に位置する通称「城山」に営まれた中世の山城で、丹波守護の「山名」が年間に城を築いたとされます。戦国時代末には、「山名小太郎」がこの城を治め、明智の丹波攻めにより、天正6年(1578)に落城したと伝えられています。現状で確認できる郭は、主郭(20×16m方形)、第2郭(19×28m)、
第3郭(20×30m)で、第3郭西側に土塁の痕跡が遺存しています。板井城のある丘陵は周囲を小坂川によって隔絶されており、自然の要害の地を選択し、城が築かれたのでしょう。



「上板井の弘誓寺」

20230618⑲上板井の弘誓寺_090453-COLLAGE20230618⑳弘誓寺境内の赤井刑部幸家墓碑と多宝塔(石塔)_090629-COLLAGE

住職が丁寧に説明していただいた。

市のHP>三尾山弘誓寺     大化年間に「法道仙人」によって創建され、後大同3年(808)に、天台宗の開祖「伝教大師」により中興と伝えられます。その後、文治4年(1188)に焼失しましたが、観音信仰の厚かった三尾山城主「赤井刑部幸家」によって天正年間に再建されたと伝えられます。同寺には、彼が寄進したという涅槃図(市指定文化財)や城中で祀っていたという大日如来座像が残され、境内には彼の墓碑も残されています。



弘誓寺境内で解散となった。。。




解散後、『打坂の大師堂』について尋ねさて貰うことができ、住職によれば、薬師如来と十二神将は公民館に祀ってあるとのことで、既にお堂はなくなっているとのことが解かった
2021-04-27のブログ>ちょっと気になる>打坂の大師堂 西紀町史P759打坂の大師堂_2021-04-07_144204_2021-04-07_14_46_05


ちょっと疲れた・・・久しぶりの戸外活動・・・・帰宅してから考えてみると「熱中症」だったかも・・・・でも、「歴史の浪漫」を感じながら、目いっぱいの妄想を楽しむことができた一日だった。。。。






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ジャンル : 地域情報

籾井城跡に登りました。丹波篠山文化顕彰会

2か月に1回の予定でイベントを計画されているとのこと。
 前回初参加。
 2022-10-15のブログ>浜谷から寺内の古代史 古代山陰道IMG_2022-10-28-18-26-39-371


今回は福住公民館に集合し、籾井城址の登り、午後は安口(はだかす)城址を中心に座学

 講師は土佐正彦氏


雨が降りそうな気配だったが、意外にもたくさんの参加者だった。


10時に出発し、「籾井川」を渡る。その「小井根橋」を渡る時、左前方の山手に「鳥居」が見え、そこから登るとのこと。。。

20221217小井根橋


  『井根』については、先日知った。。。
 2022-11-26のブログ>曽地口の井根口橋 
 「多紀郷土史話」「多紀郷土史考」に説明があった。いわゆる『溝』と・・・「うずわ(渦輪)井根」という名の水利溝もあるとのこと。


鳥居には『役ノ行者』とあった。

 獣害用の柵を通って、比較的整備された道を登ると、「水」を飲める場所があり、さらに登ると「お堂」があった。ーーー地点登録を忘れてしまい、地図登録できず・・・

20221217役の行者堂と水



緩い坂、キツイ坂、まぁまぁ元気を保ちながら登ることができた


籾井城址

20221217籾井城

 思った以上に広い敷地


 資料の地図と比較しながら・・・よく判らない(笑)


でも樹木の間から見下ろすと、篠山東雲高校が見えた。


下りは、途中から山肌を滑るように降りて「本休寺」に。

20221217本休寺

 「重森三玲氏」の作庭とのこと・・・

  のちにちょっと触られているのかも・・・

  2018-03-18のブログ>重森三玲氏の庭 2018-03-18 007 (448x336)
 2019-01-31のブログ(01-19)>重森三玲氏の住吉神社・庭の整備作業 
  寒く冷たい竹の切り出しと磨き作業だったが、良い思い出 20190119福住住吉神社庭園整備 (5)


会館に向かって、「傘」をさして歩いた。

20221217帰路


 籾井川を越える「北山橋

 国道を歩きながら、「不動坊橋」の名前に関心を持ったが、越える川は『水無川(今日は水が流れていた・・・)


会館の部屋は暖かく、寒かったことを忘れたように、昼食を済ませた。


午後、座学・・・お腹の具合と暖かさの加減で眠気との勝負・・・写真を撮り忘れた・・・・

20221217籾井城跡 Google マップ


近くには、「稲荷神社」もあった。


1972年だったか、廃線となった「福住駅」の説明板も。

2014-06-21のブログ>ガイドの研修 P6210287 (448x336)



次回は2月18日(土)とのこと






テーマ : 丹波篠山
ジャンル : 地域情報

面白ゼミに参加

市の公民館主催の面白ゼミナールに参加

講師は今井さん

20221206御刀代神社
正面の左右に掛けてある「竹(かな)」が気になった。
2017-05-28のブログ>河原町から池上へ 2017-04-06 027 (448x336)


20221206龍蔵寺
変わらず元気な住職に丁寧に説明を受けた。
2015-3-14のブログ>松平康信の多紀33観音・龍蔵寺 2015-03-14 014at (300x448)


20221206善導寺
多忙な時間を割いて説明をしていただいた副住職(大学学長)
2017-04-14のブログ>善導寺・興聖寺跡 2017-04-14 044t (448x334) 





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ジャンル : 地域情報

「丹波篠山文化顕彰会」のイベント(浜谷・郡家・寺内)

〖現地を歩き、物を見、頭で推理する、楽しみ、を育ててください〗
  ーー講師の池田氏がレジメに書かれ、そして語られた。。。

ロマンだった!

コロナの怖さから、前2回の開催には参加しなかった。。

市の広報紙により、三回目の開催を知り、参加申し込みをした。

歴史は古いのだそうだ『文化顕彰会

「岡野多目的研修センター」に集合とのこと

 会長の今井氏に挨拶した。

 池田氏がおられて、今日の講座内容は古墳関係と知った。
  久しぶりに池田氏の講話を聴くことになった。

2011-11-23のブログ>古墳探検(訪問)
古墳ウオーク⑨
2014-08-17のブログ>東部地域の古墳巡り P8170386 (448x336)

池田正男氏には古墳・山城について、随分たくさんいろいろと教わった。。


まず、座学
 
たくさんのなどの発掘物を見学させてもらった。
1015発掘物 瓦 皿

にしても、土器にしても、良く残っていたものだと・・・
  なんというか、想像を超える・・・・


いよいよ現地を歩くということで、岡野会館を出発
  すぐ北隣にある岡野小学校の敷地の隅っこに、「二宮金次郎」像。
    ーーー戦争時、銅像は供出され、陶器での代替え金次郎さん(ちょっと太りきみだが・・・)になったとのこと・・・

 その北に産業高校南側の歩道にある「道路元標」と「道標」

 連隊跡の記念碑(ちなみに小学生の修学旅行は広島が多いとか・・・戦争・・・)
1015岡野小学校の金次郎と道標と連隊跡 説明
 歩きながら、そして途中で止まり、説明を受ける




下小西の坪遺跡
 西浜谷・盃山団地の南東部に立地し、「永柄(ながら)」と墨書の土器・木製の皿が発掘され、市東部・小野の「駅家(うまや)【延喜式厩牧令】」につぐ「長柄」の存在を想定できる材料となったとのこと。。。
  ーー浜谷・郡家・寺内あたりが古代山陰道の大きな拠点の一つだと思うと、ワクワクしながら説明を聞いた。

さらに東に歩き、『東浜谷遺跡』に。
 盃ヶ岳の南麓(浜谷池の南方)で「郡」・「厨」と読める土器などが発掘され、『多紀郡衙(ぐんが)」の存在がそうてされるとのこと。
  ーー場所は具体的には特定できないものの、「郡庁・厨家」などを含む広大な敷地の行政機関・施設があったのではと・・・


『居籠塚』と『居籠神社』
1015居籠神社と古墳跡
  ーー元々古墳があり、神社は江戸中期にここに遷座したと・・・その時、古墳が壊されたのか、それとも既に崩れていたのか・・・


このあと、岡野会館に戻り、昼食後再び座学。そして、車で「居籠神社東横の駐車場」に移動し、また歩くことになった。。


『八幡塚古墳』と『八幡神社』
1015八幡神社と古墳

ココも、古墳の名残が・・・・


『新宮古墳』と『新宮神社』
1015新宮神社と古墳

 新宮古墳の道路を挟んだ小さな古墳=『碁石塚古墳』

〖ビックリ!!〗説明を聞いて、なるほど!!と。
   ーーー「新宮古墳」の「陪塚」ではないとのこと
  出土した埴輪とか土器により築造時期が推定でき、「碁石塚古墳の周壕」が「新宮古墳の堀」を切っていることからも、新しいものと推定できるのだそうだ・・・・


ひとつひとつが、自分の中の常識を打ち破られていく、、
 ーーー基本的なことすら調べていないからかもしれない・・・
  この道路そのものが1970年代まで無かったことすら知らなんだ。
新宮遺跡周辺地図比較
 地理院の地図で比較すると、河川と田畑と道路が・・・・




「藤岡川」を渡る『阿弥陀橋』
1015阿弥陀橋KIMG8038
 西の山裾に「阿弥陀堂」がある関係の命名なのだろうか・・・

2021-04-10のブログ>熊谷・佐倉・寺内地区を散策 20210410熊谷の阿弥陀堂_193416-COLLAGE



『石くど古墳』
何度か訪ねてきたが、じっくりと見させてもらった。
 封土が全く失われており、飛鳥の石舞台以上に損壊している。巨石も無くなっているのだろうかなと・・・・。ひょっとして篠山城跡の石垣に転用されているのかもと勝手に想像して・・・

その東に田んぼに接して岩が中途半端に道路の際に残っている
 ーーー訪ねてみた。。。なんと、「山の神」が祀ってあったのだそうだ・・・
   『大賣神社』にその『山の神』があった。。

歩みを止めて、説明を受けた。
 『瓦窯跡』   古代寺院「寺内廃寺」の(7世紀後半~8世紀)
  法蔵寺の北の山裾で発見されたのだそうだ・・・・
 
1015大賣神社までの道すがら 


寺内地区には「寺院」を想定できる字名があり、古代のも多数出土し、古代寺院が存在したと推定できるが、寺院名は伝承されていないことが少し残念・・・
1015遺跡巡り案内図IMG_2022-10-28-18-25-31-784
 現在は田畑になっているが、古代には自分の想像以上の大寺院があったのかも・・・

そこにポツンと石塔がある。
1015稲荷神社社蹟KIMG8042
 『稲荷神社々蹟』と・・・・
   『大賣神社』と関係があるのだと、謎めいた説明を残されて・・・


「黒岡川」を越える橋の名前『寺内大橋』と・・・
1015寺内大橋KIMG8044t


いよいよ『大賣神社
 市のHP>大賣神社
1015大賣神社
 
敷地内にある、(先に写真を載せた)『山の神』の場所を教えてもらい・・・
 そして、『笠鷺稲荷神社』
  このお稲荷さんが、先ほどの寺内の石柱の稲荷さんだったとは…ビックリ。

  
何よりビックリしたのは、「鳥居の袴石」と言われている巨石が『石製露盤』(塔の相輪の下で屋根とのつなぎの部分)の可能性もあるとのことと、同行の宇杉幸知氏の説明!!
 そして、「大賣神社(おおひるめ)」と呼んでいるが、『おおひめ』が正しいとも。(平安時代初期編纂の「延喜式神名帳」には「おおひめのかみのやしろ」とふりがな(傍訓)が付けられているとのこと!!



ここまで歩いてきて、帰りは辛いなと覚悟していたのだが、主催者側の配慮で駐車場まで送ってもらった。。。嬉しかった(笑)


「古代山陰道」の存在は確かであり、その「駅家」の位置は不詳であるが「郡衙」・「古代寺院」・「古墳」と、【頭で推理する】。。。。疲れたけれどロマンいっぱいの一日だった。。



古代山陰道IMG_2022-10-28-18-26-39-371
先人の研究によって、【古代山陰道】の推定も・・・
古代山陰道推定図IMG_2022-10-28-18-26-21-571




 

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残念 中止「人権史跡フィールドワーク」

昨年もコロナの影響で中止となった。  
行事 _ 丹波篠山市人権・同和教育研究協議会2020中止


 今年も、早速申し込んだが・・・・
kaihou74フィールドワーク2021_2021-08-06_21_13_54


中止の連絡がきた
残念だけれど、仕方がない・・・
KIMG4266_2021-08-06_21_23_33.jpg
 
 昨年から、いろいろと個人的な事情もあったのだけど、参加したい講座なども諦め、長年連続して受講していた「市民文化講座」も今年は諦めた。でも、この企画は是非参加してみたいと昨年に続き申し込んでいたのだが、残念。。。。。




篠山に移住してきて、歴史に関心を持った。

 どこだったか忘れたが、何かの講座に参加した時、偶々お話させてもらうことができ、その先輩を通じて「ボランティアガイド」の仲間にさせてもらった。

 その先輩も既にお亡くなりになり、いろいろと教えてもらうことはできなくなったが、篠山の歴史・文化を少しずつ味合わせてもらうことができた。


 今までいろいろとそれなりに楽しんできた。残された人生の一部を『歴史文化』に割いてみようと思って、仲間に声かけして『丹波篠山歴史文化浪漫隊』というサークルを立ち上げた。数回開催したが、コロナの関係でほとんど何もできていないが、あちこち訪ねて、記録に、あるいは伝承として残っていう歴史文化を学び、空白の部分は「ロマン」を見つけようという試み。マァ言うならば「空想」も「妄想」もあって良いのでは・・・・と。

 「負の遺産」にも関心を持って、良い意味での「貪欲に」、過ごしてみたい。。。。



 

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プロフィール

茶介

Author:茶介
丹波篠山に移住して20年以上。  まだまだ知らないことがたくさん・・・

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