- 2019-01-01 :
- ぶらり散策
地元の神社を巡りました
篠山市のHP>民話と伝説 たんなん
https://www.city.sasayama.hyogo.jp/minwa/tannan/mdt019.html
2016.3.10のブログ
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-769.html
- 2018-02-26 :
- ぶらり散策
川北の春日神社 ここに合祀されたという八幡神社
ブログ:弥勒堂 篠山市川北地区
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-816.html
川北の春日神社の祭神(p731)
【武甕槌命(たけみかづちのみこと)】
【経津主命(ふつぬしのかみ)】
と書いてある。
多紀郷土史考(奥田樂々齋著)(下p270)
---なぜか、「姫大神」は外れている。
祭神:(ネットなどで調べてみました・・・)
【武甕槌命(たけみかづちのみこと)】
雷神・剣の神・鹿島神宮の主神
--元々は常陸の多氏(おおのうじ)が信仰していた鹿島の土着神。海上の神として信仰。祭祀をつかさどる中臣氏が常陸地方の出で、鹿島神を信奉していて、平城京に春日神社が作られたとき、鹿島神を勧請し、一族の氏神とした・・・
【経津主命(ふつぬしのかみ)】
日本書紀のみ登場する神。
--「武甕槌命」と関係が深く対で扱われることが多い。香取神宮の主神
祝詞の神。
--岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開けた・・・。。古事記には中臣氏の祖となったとある。
神社の主祭神の妻や娘、関係の深い女神を指す。
--春日神社では「天児屋根命」の妻・天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)。
【五男三女神(ごなんさんにょしん)】
「アマテラス」と「スサノオ」の誓約で3柱の女神(宗像大社)と5柱の男神
--女神の一つ・沖津宮の多紀理毘売命(たこりひめ)=多紀郡と同じ漢字にびっくり!
別称・〔宇迦之御御魂神〕
--「ウカ」は穀物・食物の意味。伏見稲荷大社の主祭神。
実在を確認できる最初の天皇・陵は誉田古墳と言われている。
昨秋の台風で、大きな樹木が被害にあったとのことだ・・・
--西紀町史に載っているのとは異なるのだが・・・
本殿を囲むように祠が。。
--天満神社
--聖大神
--日吉神社
***「神社明細帳」によると、村社八柱神社・無格社稲荷神社・無格社八幡神社を明治42年2月14日合祀済み・・・と。
所謂『神社』の知識もなく、何もわからないのだが、「ムラ」の方に聞くと、毎日交代で神社の灯篭の『火』を入れておられるとのことだ・・・
・・・もう少し何とか調べて、『弥勒堂』との関係があるのではないかと・・・
---昔あったと言われる『大将軍』と関係があるのかも・・・
- 2017-10-12 :
- ぶらり散策
古森(こうもり)の大将軍
ブログ2016.3.23. 篠山市大芋地区宮代の「大将軍」と「十明社」
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-770.html
相当古い時代からの言葉。暦の中の星の名から出たもの。部族の長者または一門の頭領者など。
宮代は大宮の神意を事代する首領が居たところ。
大将軍は魂依比賣(たまよりひめ)や姥女神(うばめ)の如く女性であるのが普通。
大将軍の地名のある所は古い年代を経た所で、
一本の巨木や巨石が残りまたは小高き岡の上に石祠のあるものが見受けられる
「古森」という地名もさることながら、後方にある山の名前は「海見山(518.8m)」。
そして地形がみると、山に挟まれ、武庫川が流れていて、昔は摂津の国(三田市)に行くには「日出坂峠」を越えていたということから、昔の街道は対岸で、こちらは『森』であったのだろうか・・・・
それにしても、「大きな神社」が付近にはないのが・・・
国境にある集落だからだろうか・・・・
地元の方に、いろいろ尋ねてみたい・・・
鳥居には大正11年となっている。。。。
参考に(2017.10.15. 追記)
古市地区まちづくり協議会:古森
http://furuichimachikyo.com/%E5%8F%A4%E6%A3%AE/
- 2017-09-08 :
- ぶらり散策
福住から河原町までを廻ってみました
ブログ:2012.07.13「川原の住吉神社で《祭り》のワークショップ」
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-492.html
ブログ:2013.05.01「篠山歴史美術館」に行ってきました。【篠山の明治維新】
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-291.html
篠山市のHP2014.12.26 福住伝統的建造物群保存地区(宿場町・農村集落)の町並み<
href="http://www.city.sasayama.hyogo.jp/pc/group/shakaikyoiku/city-planning/post-177.html
ブログ:2014.06.21 篠山市福住 重伝建地区を現地研修
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-626.html
ブログ:2013.05.04 篠山市福住の禅昌寺 伝説の「白井半左衛門」
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-296.html
篠山市のHP:多紀地区の小学校の今昔
https://www.city.sasayama.hyogo.jp/rekishi/photo/rkph08.html
篠山市のHP: 丹波ささやま五十三次 > 山陰道の小野駅跡(小野新)
http://www.city.sasayama.hyogo.jp/rekishi/53sasa/53073.html
ブログ:2013.10.27 篠山ユネスコ、中野先生が最後の講師 「ふるさとを知ろう」
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-344.html
更に西に向かうと「辻」地区に至る。
このあたりから、中世の歴史の宝庫。
ブログ:2016.11.23 「辻地区で山城址整備作業を手伝い(体験)し、山道を散策」
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-805.html
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-806.html
あの井上靖が小説「戦国無頼」で、
『高城山』を見たのはこのあたりからか・・・・
明智光秀との闘い・・・八上城址
ーー今は道路も良くなって・・・・
その「辻」の交差点を右折すると、旧道に入る。
--グーグルのMAPを利用しています
そこは、「波々伯部神社」を中心とした町並み。
お祭りの時に貰って玄関先に貼る・・
「無事でいたい」-「藤」と「鯛」
ブログ:2013.08.04「波々伯部神社 3年に一度のきゅうり山」
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-315.html
ブログ:2016.07.23「波々伯部神社」ー丹波の祇園さんー冊子の発刊
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-793.html
ココにも一里松の跡が・・・・
この街道の最後のあたりで「地寄地蔵」
ブログ:2013.06.13「松平又四郎」
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-302.html
ブログ:2015.03.26「亀岡に行ってきました。青春18切符 亀岡(亀山)と篠山 松平家と青山家」
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-722.html
「上宿」の交差点、ここを正面に行くと、「日置地区」の旧道。
曲がって直ぐに「六本柳」。
篠山市のHP>丹波ささやま五十三次>六本柳(上宿)
https://www.city.sasayama.hyogo.jp/rekishi/53sasa/53059.html
この「六本柳」の後方に見えるのが、「篠山川」の対岸にある「剛山」
「こうやま」と読み、様々な漢字が当ててある
そして、そこには、「義経」が・・・
篠山市のHP>丹波ぶらり散歩道>源義経①
http://www.city.sasayama.hyogo.jp/siryositu/burari16.html
義経が、奉納したと言われる馬の鞍が残っている
(場所はこことは違います・・・)
この日置の街道に大きな道標が残っている
--篠山でたくさんあるなかで、立派な道標の一つ
この付近に「磯宮八幡宮」があり、足利尊氏が立ち寄った。
ブログ:2014.10.21「磯宮八幡宮を見学(面白ゼミナール)」
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-665.html
この古いムラには、「中立舎(ちゅうりつしゃ)」があった。
以下、日置地区の資料です。
(8)石門心学と「中立舎」
「石門心学」というのは、今から三百年程前丹波(亀岡市)出身の、石田梅岩が仏教
の教えや神道、儒教、道教などの中心思想をまとめ、町人や農民、子ども達にも判り
易く、また商売の仕方や、倹約、正直など町人道徳だけでなく、すべての人々に判り
易く、心学講話として(人間としての生き方)説き、多くの人々から感銘を受けまし
た。その心学講話が、私達の住んでいる町、日置で行われていました。
本家波部の先祖の方が始められたのですが、本家波部は、元辻の淀山城主として、
波々伯部の土地を治めていました。戦国時代末期の明智光秀の八上城攻めの時には、
最後まで波多野氏に味方として戦いましたが、落城と共に帰農して、酒造業を営みま
した。
江戸時代の初期には、波々伯部の姓を短く「波部」と改姓して以来、篠山藩政下で、
代々庄屋や大庄屋を努めました。
六代目の波部六兵衛次賢の時、梅岩の高弟手嶋堵庵とあん
の講義にすっかり傾倒して、宝
歴頃に自宅前に(山尾氏宅)「中立舎」を創設し堵庵先生を招聘して、講義を行った時
は一日に八百人から千人の人々が、聴講したといいます。また、幕末から明治初年頃
には、寺小屋が数軒でき、多くの人々が勉強する風潮によって、日置の里は、「勉強す
る里」として、盛大であったと伝えられています。
秋の「日置地区」の街道筋のイベントが素晴らしい
写真は2010年の秋
国道沿いに大きなイチョウの木
この下に祠も祀ってあって、「脱衣婆」かな?
最近大掛かりな剪定をされたが・・・
日置地区の旧道から、八上地区の旧道に
分岐点を西に向かって走る、暫くすると、道際にある。
--良く判らないが・・・
このあたりから、北を見ると篠山の三岳を中心に
左手の山は高城山。神社仏閣が続く。
八上城から、篠山城に、時代が変わった時に、
寺も、個人家も、マチの名前も、篠山城下町に移動した。
この旧道沿いにも「一里松」のあと。
--篠山城から、一里。
波々伯部神社で二里。
そして、福住で三里。
国道に出て、国道を走って河原町に向かう。
または、篠山川の橋を渡って、川沿いに西に向かい河原町に。
今の篠山川は落ち着いた様子を見せているが、
むかしは大変だったようだ・・・
かつては「大芋(おくも)川」と呼ばれ、
上流には「大蜘蛛」伝説もある。
立派な橋が、高城山を対比的に際立たせている。
ココがかつては大変な激流だったとのこと。
-この画像は「野間里づくり協議会」に資料による
ブログ:2013.06.13「野間の弁天さん」
http://sasayamaguide.blog.fc2.com/blog-entry-300.html
上流に上ると「般若寺(はんにゃじ)」に「八幡橋」
ココからの景色が個性的で好きなポイント
-下流に向かって
-上流に向かって、「一本桜」と「弥十郎が嶽」
いよいよ河原町に。
東の入り口に。
町並みは普段は静かな雰囲気で。
奥に長い屋敷で、多くの家が、庭を作り採光を図って。
**
先日訪ねた滋賀県の甲賀市土山は東海道五十三次の街道筋。
たくさん有った旅籠跡には石柱で。
各家で屋号を看板で。
素晴らしいなと感じ、あらためて各街道を廻ってみた次第でした。
津山の皆さん、お世話になりました。