- 2023-09-24 :
- 神社仏閣・城跡・古墳・歴史文化
下板井と東木ノ部地区の神社
2023-06-18のブログ>文化顕彰会のイベント参加
早速尋ねたが、懸案の『愛宕神社』については判らなかった・・・
それでも、前回も石段を登ってみたのだが、多分おそらく、そこが・・・
『愛宕神社』
市発行の「歴史文化基本構想資料編」による・・・・
石段の右横に「お稲荷さん」が祀ってあり、その石段を登ると、小さながらも社がある。
明治時代の神社の統合の際、こちらに祀られたのだろうか、それとも、最近祀られたのだろうか??
境内を離れて、少し北に移動すると、道路の・田圃の横に鳥居があり、以前から気になっていた。。。今回は意を決して上ってみることにした。
草があり、少し気になったが・・・・
少し石段を登ると、獣害除けのフェンスが待ち受けていた。
なかなか、開けられない(留め鍵がキツイ・・)
さらに上ると、社があった
が、草深く、近寄ることを躊躇った。。。
『金比羅神社』
市内で、単独の敷地で祀ってあるところは少ない・・・
「海」の神さんかと思い込んでいるので違和感があったが、ネットで調べると「五穀豊穣」とか、いろいろとあるみたい・・・・
市の「歴史文化基本構想資料編」で検索すると、「交通安全祈願」をされているとのこと・・・・なるほど、現代的で良いなと・・・
車で南に移動し、東木之部地区に。
ココも、気になっていた鳥居の一つ
『稲荷神社』
最初の鳥居から、鉄骨の階段・・・コツコツと音を立てながら登ると、どこまでも続く。。。
結局、最後まで鉄骨の階段だった。
となると、以前の、上り下りはどんな道だったのだろうかと???
周りの景色の中で、高速道路が走っており、その開発時に、こうした状況になったのかなと・・・・判らないが・・・・
結果的に、神社めぐりとなった90分余り・・・・
2023-09-05のブログ>城崎
2023‐09‐13のブログ>真南条をちょこっと
2023-09-17のブログ>小野奥谷から安口、西野々へ
丹波新聞のニュース 今田の国内最大の「アベマキ」倒れる
2022-10-22のブログ>今田 大アベマキ
- 2023-09-17 :
- 神社仏閣・城跡・古墳・歴史文化
【石造物】篠山を巡って
2023-09-17>道標>西野々
「賽の神」を訪ねて、丹波篠山市を巡ったブログを編集中です。
「大将軍・道祖神・庚申」そして「地蔵と野仏」
「篠山市歴史文化基本構想」の中で、『石造物』が120件ほどリストアップされている。
「道標」「道路元標」「祈念碑」「供養碑・墓碑・力士碑」「宝篋印塔」「記念碑」など・・・
--全てが網羅されているとは思えないので、相当数の「石造物」が市内にあるのだろうと推測できる。(先に記述した「大将軍・道祖神・庚申」や「地蔵」に「野仏」もかなりの数があるものと思う)
市のHP>「篠山市歴史文化基本構想」>『石造物』
2015-09-10のブログ>桑原の球形の道標
市内最北端の道標は丸い球状
2020-11-16の写真>ブログ未>川北の道しるべ![]()
2021‐02‐26のブログ>今田小学校近くの道標
今田温泉からの帰路。 車を停めて、信号の変わるごとに、横断歩道を渡って・・・・2基あるために。![]()
2021‐03‐11のブログ>黒田交差点と歯科医院近くの道標
むかしの道の名残のある黒田地区。こうした道標を大事にして、歩く人にとってはありがたいものだったと・・・![]()
2021-04-07のブログ>西古佐公民館敷地の道標
西古佐公民館の敷地の道路側に地蔵堂が祀ってあり、その背後に道標があるのだが、残念なことに倒れている。というより管理面での関係か寝かせてある・・・
2021-05-11のブログ>西野々・西明山極楽寺(大師堂)への道標
ちょっと気づかなかったけれど・・・
2021-06-26のブログ>西古佐の元街道筋の道標
旧道と現在の国道の交わるところに
2022-01-30のブログ>郡家の道標
産業高校の前面の交差点歩道に道路元標と一緒に。移動されているのかも・・
2022-04-13のブログ>一印谷の道標
一印谷集落への入り口の三叉路に建ってある。明治時代に神社が合祀された時に建てられたものだろうか・・・
2022-04-30のブログ(04/27)>味間南と味間新の道標
味間南の地蔵堂を訪ねた。お堂の前に四角自然石の道標が。そして味間新と味間南のムラ境の四つ辻に丸い石の道標も。いずれも「播磨」と「丹後」への案内かと・・・![]()
2022-09-10のブログ>上板井の道標
上板井地区を散策。高速道路の近くの分かれ道に。風化していて読み取れないが、旧道沿いなのだろうが、元々ここにあったのだろうかと思ってしまう。
2022‐09‐14のブログ>河原町の道標
観音寺の門の前に右手に行けば王地山公園と。。いつ頃から置かれているのだろうかと思うほどの小道だが・・・・
2022-09-24のブログ>下板井の道標 と 宮田の道標
一宮神社(川内多々奴比神社)への近道と・・宮田地区の旧道の交差点に立派な道標
2022-09-25のブログ>小原の道標
「毘沙門さん」への案内
2022-09-27のブログ>西古佐・国道沿いの道標
味間への道と国道が交差する地点
2022-11-10(11/09)のブログ>下小野原の道標
和田寺への案内だろうが、風化がひどく判読できない
2022-11-26のブログ>日置の道標
市内でも立派な大きな道標の一つ
2023-01-04のブログ>今田新田と木津の道標
今田新田・西方寺近く木津・真蔵寺近く
2023-02-25のブログ>大山下公民館前の道標
旧街道、風化していてなかなか読めない道標(西国33観音の道標)
大山下・出谷薬師堂前の道標植栽の根の強さが道標を倒してしまっている
2023-03-10のブログ>古市の道標(復元)
立派な道標だったのだが事故で破損(宗玄寺境内に保存)し、復元された
2023-03-22のブログ>北野新田の道標
市内で有数の大きさの道標
2023-03-22のブログ>西野々の道標
地区会館の前庭に移設されいている
2013‐10‐27のブログ>小田中の『村雲村道路元標』
初めて「道路元標」という存在を知った
2021‐03‐11のブログ>黒田の歯科医院近くの『南河内村道路元標』
この「南河内村道路元標」がここにあったのかどうかは、不勉強の関係で良く解らないが・・・・
2022-01-22のブログ>八上内の『八上村道路元標』
雪があり、なかなか何か判らなかった。「八上村道路」までが読めた。あとは土中に埋まっていた『元標』の文字が・・・
2022-01-30のブログ>郡家の『岡野村道路元標』
産業高校の前面の交差点歩道に。移動されているのかも・・
2022-04-10のブログ>黒岡の『城北村道路元標』
歴史に詳しくないので判らないのだが、現在のJAsさんの敷地南側。この地に村役場がかつてあったのか、それとも中心になる交差点だったのか・・・・
2022-11-26のブログ>日置の『日置村道路元標』
現在は公民館の前に設置されているが、元の位置はどこだったのか説明板があったら良いなと感じた
2023-01-04のブログ>本荘の『今田村道路元標』
まさかと思ってしまった、道路の隅っこに
2023-02-25のブログ>大山下の『大山村道路元標』
まさに道路に面して、ひっそりと建っている
2023-03-10のブログ>古市の『古市村道路元標』(復元)
立派な道標の傍らに半ば埋もれた状態であったが事故で破損(宗玄寺境内に保存)し、復元された
2023-04-18のブログ>瀬利の『畑村道路元標』
道路わきの田のそばにポツンと
2023-04-28のブログ>小枕の『城南村道路元標』
小学校に隣接し、JAの敷地になるのだろうか、かつては城南村の中心だったのだろうなと推測できるところに・・・草むらに覆われるように・・・
2023-05-09のブログ>本郷の『草山村道路元標』
交差点に残っている・・・
2021‐01‐07のブログ>1/4分>東吹の川越安全の碑
東吹地区と東岡屋地区との川越安全祈願を込めた碑などを渡瀬橋の近くに集めてある。
2021-01-17のブログ>川北新田の川越安全の碑
かつて暴れ川であった篠山川の歴史を物語る石碑
2021‐01‐21のブログ>野中の乙女塚
高城山・八上城落城の時の悲しい伝承が残る野中地区の田んぼの中にポツンと。
何度も尋ねたが2018年11月25日の写真がお気に入り。地元では自然のままにしておくことが一番の供養と樹木の剪定はされない・・・・
2022-01-05>野中の女畷の碑
明智光秀と波多野秀治との伝承が残っているが、この街道筋は昔からの大切なルートだったのだろうが・・・・
2022-07-06>口阪本の普賢菩薩碑
村はずれに建立されていて、安全祈願をこめた「賽の神」と同じ意味だろうか・・・
2018-11-25のブログ>味間奥の波多野秀治墓所
イベントに参加。何度か訪ねているが、今回は御霊神社も![]()
2021‐03‐11のブログ>黒田交差点近くの力士碑
まるで交差点を見守っているように力士碑が祀ってある。 地区の先輩に教えてもらったのだが、むかしの「化粧まわし」が残っているとのこと。拝見はしていないのだが・・・・
2021‐04‐07のブログ>西古佐と宮田の徳本上人碑
西古佐公民館敷地の地蔵堂の横に徳本上人の碑が祀ってある。宮田の末春稲荷神社鳥居横にひっそりと道路際に祀ってある。
他にも祀ってあるが、不勉強で何か判らない・・・
2021‐04‐23のブログ>今田の墓碑(?)21日分
今田町今田地区を歩いた時、地区会館の敷地内に祀ってあった。 悲しいことに何か判らない・・・
2021‐11‐13のブログ>畑井の極楽廃寺の墓碑
わずかに寺跡と思われる敷地が残っていて、山の中腹に集められた墓碑
2022-02-18のブログ>西谷・西谷館跡の墓碑
新しい石碑に「岡本丹後守信光之墓」とあった
2022-07-06のブログ>口阪本・乗願寺の徳本上人碑
石段を登ったところに石碑が祀ってあった
2022-07-14のブログ>大山上・本來寺の徳本上人碑
本來寺を訪ねた時、庵主さんから教わった
2022-10-22のブログ>上立杭の三ツ子山(力士)碑
古市と加東市にもあるとのこと
2022-10-29のブログ>八上上の和田山(力士)碑
西荘地区への道の交差点近くに
2023-02-28(02/02)のブログ>油井の力士碑
オロ峠にかかる手前の墓地に一基祀ってある
2023-02-25のブログ>川北新田の力士碑
隣には地蔵さんが祀られている
2023-03-22のブログ>長安寺の力士碑
地蔵さんと一緒に祀られている
2023‐05‐24のブログ>古森の「乳母が塚」 今田に行く途中で古森に寄って伝承のポイント
2023-06-18のブログ>西谷と宮田の力士碑
それぞれの地区の墓地に隣接したところに![]()
2013-10-27のブログ>小野奥谷の宝篋印塔
山中に残っているが、かつての西光寺跡と中野先生に教わった・・--市のHP<小野宝篋印塔
2014-03-07のブログ>西浜谷の宝篋印塔(伝・伊勢三郎義盛)
山中にひっそりと。元福応寺跡とのこと--市のHP<西浜谷宝篋印塔
2015-09-10のブログ>桑原の宝篋印塔(伝・和泉式部)
和泉式部が滞在して、その間に「桑」の育て方を伝授したとの伝承もある
2020-12-02のブログ>宮田の宝篋印塔
光照寺境内に祀ってある市内最大級のものーー市のHP>宮田宝篋印塔
2020-12-21のブログ>味間南の宝篋印塔
『皇妃塚(こうひ)』と呼ばれていると図書館で借りた本で知り、関心を持っていた--市のHP>味間南宝篋印塔
2021‐04‐01のブログ>大沢の宝篋印塔
現在は公民館となっているが、隣接して建っている
2021‐04‐01のブログ>鷲尾の宝篋印塔
ムラの中の山裾に祀ってあった。義経の時代、鷲尾氏の居宅があったのかなと・・・
2021-05-09のブログ>東木之部・耳薬師堂の宝篋印塔
山沿いに複数の建立ーー市のHP>東木之部宝篋印塔
2022-06-15のブログ>畑宮・佐佐婆神社の宝篋印塔(伝・後鳥羽上皇)
神社境内の奥(裏)に鳥居をくぐると、ひっそりとーー市のHP>佐佐婆神社
2022-07-19のブログ>本明谷・本休寺の宝篋印塔 本休寺境内の隅にひっそりと
2023-03-27のブログ>油井の宝篋印塔 正面に尾上城址が見える墓地に祀ってあるーー古市地区まちづくり協議会のHP>油井
2021‐04‐26のブログ>知足の六十六部廻国塔
恥ずかしながら、この記念碑を見るまで「六十六部」って何だと・・・・そんな感じだった。すごいことなんだ。全国66ヶ国(北海道・沖縄はない)を廻るだけでも大変なのに、納経して廻るとか・・・
2023-06-14のブログ>住山の六十六部廻国塔
江戸時代に、国中を廻ることだけでも大変なことだろう・・・・大変な苦労だったかと。どれだけの日時を費やしてのことなのだろうか・・・
2020-12-21のブログ>味間南の賀茂神社旧蹟
宝篋印塔を訪ねた時に、その敷地の奥に祀ってあった。
2021‐04‐10のブログ>寺内の稲荷神社旧跡
個人の敷地なのか、ムラの管理地なのか判別できなかったのだが(どなたかに聞けばわかるのだろうが・・・)、かつて稲荷神社が祀ってあったという・・・。なぜ、無くなったのかなと不思議な感じがした。
2021‐09‐29のブログ>安口の水神さん(かな?)
仲間と一緒に「ぶらり散歩」。子授け地蔵を探しているときに、遭遇したのだけど・・・*後記*市の「歴史文化基本構想資料編」によると、「弁天さん」
2021-10-17のブログ>上立杭・大アベマキ下の不動尊
登り窯の横にそびえる「大アベマキ」の下に『白玉神社』と『不動尊=不動明王』が祀ってあった。
2021-11-12のブログ>栗柄・八柱神社の観音さん(?)
神社の境内の隅っこに祀ってある。子育て観音さんかなと、マリア観音さんかなと勝手に妄想したのだが・・・
2021‐11‐23のブログ>上宿の覆屋のある祠
全くの推測であるが、「賽の神」か「五輪塔」の一部分かなと・・・
2022‐02‐11のブログ>追入・大乗寺の快祐上人の祠(千日さま)
即身成仏されたとのこと・・・・
2022-02-28のブログ>大山上の不動堂跡
管理ができなくなって、取り壊しの運命となったとのこと
2022-04-13のブログ一印谷の若宮神社跡
現在の八幡神社に合祀された時に建てられたのだろうかなと・・・・。裏山の森の中に埋もれているように残っている
2023-02-25のブログ大山下のお不動さん
川代ダムを見守るように土手の上に祀ってある
2021‐01‐07のブログ>1/4分>東岡屋の刑場跡の碑
篠山川に合流する岡屋川の近くに藩政時代の刑場跡とされる地に碑を建て祀っている。いつ頃のものかは知らないのだが・・・
2021-04-12のブログ>八上内の一里松の角柱
「一里塚」となるが、なぜか篠山では「一里松」として歴史に残る。「松茸」を将軍家に収めたくらい「松」がそれだけたくさんあったのだろうかなと・・・
2021‐09‐29のブログ>安口の藩境の石柱
公民館の敷地に残されていた。幕府時代にはもう少し違う場所で街道筋にあったとのこと
2021‐11‐11のブログ>小倉の珪石
「石造物」ではないのだが・・・歴史遺産として。山に残っていた珪石の大石を運び出して会館前に設置![]()
2022-01-30のブログ>今福の隕鉄落下地点
明治37年、隕石落下した時の地点に2011年プレート設置
2022-02-05のブログ>立町の篠山藩王地山焼窯跡の石柱
現在の王地山焼の窯元より一谷北に位置すると聞いていた・・・
2023-02-25のブログ>黒田の琵琶渕之跡碑
歴史的伝承で琵琶渕があったという
2023-03-11のブログ>黒岡の「日置玉水の碑」
当時の藩主が池を掘らせたとの伝承がある
2023-04-02のブログ>宇土の「権頭塚」
桜巡りに参加させてもらった際、案内してもらった
2013-11-29のブログ>杉の杉本八右衛門の頌徳碑
沼地・湿地だった杉地区に川を掘って開拓
2021‐11‐03のブログ>栗柄の二宮金次郎像
『栗柄ふれあいセンター』の広場の横にある。元は学校なのであろう・・・
2022-01-16のブログ>野間の酒匠和助の碑
灘の「大黒政宗」の杜氏として手作りの酒、ということで、 経営者からの顕彰碑
2022-11-02のブログ>西谷の未生流の碑
西谷地区と宮田地区との境界に建立。力士碑も
2023-02-01のブログ>真南条中の本庄繁将軍碑
真南条中公民館の敷地に2基
2023-02-01のブログ>西野々の筆子塚
旧道沿いに建立されいている
2022-02-11のブログ>追入の町浦古墳
再訪となった今回気づいたのだが、北隣の敷地が駐車場になる様子。古墳に通じる道が元々ないもので、どうなるのか心配した・・・![]()
2023-04-28のブログ>向井の田の中の古墳
ちょうど田植えの準備時期であり見通しが良く、古墳がよく見えた
所在地順(五十音順)に・・・
味間奥の波多野秀治墓碑<2018-11-25
味間新と味間南の道標<2022-04-30(04/27)
味間南の宝篋印塔と賀茂神社旧蹟<2020-12-21
油井の力士碑<2023-02-28(02/02)
油井の宝篋印塔<2023-03-27
一印谷の八幡神社の道標と若宮神社跡の碑<2022-04-13
今福の隕鉄落下地点<2022-01-30
宇土の権頭塚<2023-04-02
追入の町浦古墳・快祐上人の祠<2022-02-11
大沢の宝篋印塔<2021-02-28
大山上の不動堂跡<2022-02-28
大山上・本來寺の徳本上人碑<2022-07-14
大山下・公民館前の道標<2023-02-25
大山下・出谷薬師堂前の道標<2023-02-25
大山下の大山村道路元標<2023-02-25
大山下のお不動さん<2023-02-25
小倉の珪石<2021‐11‐11
小原の道標<2022-09-25
小野奥谷の宝篋印塔<2013-10-27
上板井の道標<2022-09-10
上宿の覆屋のある祠<2021‐11‐23
上立杭・大アベマキ下の不動尊<2021-10-17
上立杭の三ツ子山(力士)碑<2022-10-22
川北の道しるべ<2020-11-16の写真>ブログ未
川北新田の川越安全の碑<2021-01-17
川北新田の力士碑<2023-02-25
北野新田の道標<2023-03-22
口阪本・乗願寺の徳本上人碑<2022-07-06
口阪本の普賢菩薩碑<2022-07-06
栗柄の二宮金次郎像<2021‐11‐03
栗柄・八柱神社の観音さん(?)<2021-11-12
黒岡の城北村道路元標<2022-04-10
黒岡の「日置珠美宇の碑」<2023-03-11
黒田交差点近くの力士碑<2021‐03‐11
黒田交差点と歯科医院近くの道路元票と道標<2021‐03‐11
黒田の琵琶淵之跡碑<2023-02-25
桑原の道標<2015-09-10
桑原の宝篋印塔<2015-09-10
郡家の岡野村道路元標と道標<2022-01-30
木津の道標<2023-01-04
小枕の城南村道路元標<2023-04-28
古森の供養塔、2023-05-24
今田の墓碑<2021‐04‐23
今田小学校近くの道標<2021‐02‐26
今田新田の道標<2023-01-04
下板井の道標<2022-09-24
下小野原の道標<2022-11-10
杉の杉本八右衛門碑<2013-11-29
住山の六十六部廻国塔<2023-06-14
瀬利の畑村道路元標<2023-04-09
立町の篠山藩王地山焼窯跡<2022-02-05
知足の六十六部廻国塔<2021‐04‐26
長安寺の力士碑<2023-03-22
寺内の稲荷神社旧跡<2021‐04‐10
西古佐の徳本上人碑<2021‐04‐07
西古佐公民館敷地の道標<2021-04-07
西古佐国道沿いの道標<2022-09-27
西谷館跡の墓碑<2022-02-18
西谷の未生流の碑<2022-11-02
西谷の力士碑<2023-06-18
西野々・極楽寺(大師堂)への道標<2021-05-11
西野々・地区会館に移設された道標<2023-09-17
西野々の筆子塚<2023-09-17
西浜谷の宝篋印塔<20145-03-27
野中の乙女塚<2021‐01‐21
野中の女畷の碑<2022‐01‐05
野間の酒匠和助の碑<2022-01-16
畑井の極楽廃寺の墓碑<2021‐11‐13
安口の水神(?)<2021‐09‐29
安口の藩境の石柱<2021‐09‐29
畑宮・佐佐婆神社の宝篋印塔<2022-06-15
東岡屋の刑場跡の碑<2021‐01‐07
東木之部の宝篋印塔<2021-05-09
東吹の川越安全の碑<2021‐01‐07
古市の道標と道路元標<2023-03-10
本荘の今田村道路元標<2023-04-04
本明谷・本休寺の宝篋印塔<2022-07-19
真南条中の本庄繁将軍碑<2023-02-01
宮田の宝篋印塔<2020-12-02
宮田の道標<2022-09-24
宮田の徳本上人碑<2021‐04‐07
宮田の力士碑<2023-06-18
向井の田の中の古墳<2023-04-28
八上内の一里松の角柱<2021-04-12
八上内の八上村道路元標<2022-01-22
鷲尾の宝篋印塔<2021‐04‐01
- 2023-09-17 :
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【地蔵】と【野仏】を訪ねて篠山のあちこちに
2023-09-17>西野々の地蔵さん
何気なく普通に生活していたら気付かないことが多いのだが、ちょっと気にしてみると、あちこちで『お地蔵さま』が見守っていてくれていることが判る。地元の方のお世話が行き届いていて、居心地もよかろうかなと思う・・・・・
気が付いた時にブログしていたり、何かの時に一緒に「お地蔵さま」を体感していたり、そうしたブログを集めてみた。また、訪ねた記憶があるのだがブログに残っていない場合は再訪してみたり・・・
ーーー2022-02-15追記 別のブログで「野仏」を編集していたのだが、こちらに移動させた。
『賽の神』として「大将軍」「道祖神」「庚申さん」を別編集しています
【賽の神(大将軍 道祖神 庚申さんなど)】を訪ねたブログ
##地蔵##
おそらく市内ではココだけと教わった。『摩崖仏』。なぜココだけなのか・・・という疑問も残るのだが・・・・あちこちにあってもと・・・
2012-09-03のブログ>市原の瀬戸地蔵東条川の「瀬戸」を恐々と通行しながら、災害にあった人もいて、そうした供養も、安全祈願も含めてのものかと・・・
2013-04-28のブログ>二之坪の柿の木地蔵
柿にまで年貢として取り立てという歴史があるとのことで・・・訴えた庄屋さんは磔の刑、その供養の意味かなと・・・。建立はのちの時代のことかも・・・
2013-06-13のブログ>上宿の地寄地蔵
松平康信藩主の甥・松平又四郎が(何が原因かは歴史には残っていないとのことだが)手に負えなくなり、波々伯部神社へ代参する途中、命令により処刑された。 住民が建立したと伝わっている・・・
2013-07-18のブログ>川阪の地蔵堂 友淵川沿いにあり、その横に「道祖神があるとのことで寄ってみた。地元のみなさんがココに集まって、数珠くくりなどお祀りの行事が続いているとか・・・
2013-06-13のブログ>八上上の小さな地蔵
八上上地区と西荘地区の境界になる交差点の木の株下にひっそりと祀ってある
2014-05-16のブログ>寺内・法蔵寺の岩舟地蔵
神仏分離令により、大賣神社にあった円光寺を法蔵寺に移したとされるが、その時『岩舟地蔵』も一緒に移したと。 でも、その名前の由来は解からない・・・・
良く解らない。四国88ヶ所のことを知らないからだと思うが、曽地中・長和寺に祀ってあるお堂に『薬師如来地蔵』と「石手寺」とある。石手寺の本尊が薬師如来で、それを地蔵さまにして祀ってあるということなのだろうか・・・2015‐02‐05のブログ>曽地中・長和寺の薬師如来地蔵
「ゆるぎ」:近松門左衛門・丹波与作・丹波由留幾家・子安地蔵・・・ゆるぎ地蔵 なかなか理解できないが・・・ 2015-02-28のブログ>熊谷のゆるぎ地蔵
2015-09-10のブログ>桑原の地蔵堂
仲間とぶらり散歩中(西紀北の桑原地区にバスと徒歩で)、交差点の近くで出会う
2017-07-10のブログ>味間新の地蔵堂
サークルの集会のあと、午後、仲間と一緒に「ぶらり散歩」。「妙見堂」に行ったあと
寄った。![]()
追記::2021-04-23のブログ>地蔵堂の開扉で拝観
2017-09-10のブログ>曽地中の長福地蔵八上城攻防の際、焼かれてしまった寺院(長福寺)跡地に石仏を集めて祀っているとのこと
2017‐11‐10のブログ>宮田・光照寺の立江地蔵地元の方に説明を受けながら西紀地区を歩いた。その時に立ち寄った光照寺。
市場橋を越えて北野地区に向かって進むと大山下地区の境界になる。小さな祠が街道筋にある。その前に地蔵さんが祀られている。「交通安全」とある。 2020-03-01のブログ>大山下の地蔵さん
2020‐09‐27のブログ>東吹の地蔵(道祖神も)
車で走っているときは気づかない、小さな祠の中に安置してあった。「ぶらり」散歩したおかげで拝観することができた。お地蔵さんか、道祖神かは良く解らなかった・・・
「子授け」の祈願し一体の地蔵を借りて、出産しお礼にもう一体奉納するシステムだとか・・・・。 2020-09-30のブログ>日置の千体地蔵
日を限ってお願いすると叶うという地蔵さん。「ひぎりじぞう」さん。以前他所でこの名前の地蔵さんに出会ったが、その時は由来が判らなかった。ここで説明板を読ませてもらって理解できた。
2020-10-06のブログ>古市・宗玄寺の日限地蔵 & 波賀野新田の祠にある地蔵さん![]()
波賀野新田の秋葉神社境内の道一つ隔て所にポツンとあった小さな祠。祀ってあるのは地蔵さんかなと・・・。
元々は地区内のあちこちにあったものか、西紀北の遠方(おちかた)阿弥陀堂の六地蔵さんの後方に祀ってあった。 2020-10-16のブログ>遠方・阿弥陀堂の地蔵
2020-12-21のブログ>味間南・地蔵堂のお地蔵さま
先輩に味間南地区を案内していただいた時に、寄らせていただいた地蔵堂内に祀ってあった。
2021‐01‐07のブログ>岩崎の地蔵(祠)(1/2分)
岩崎のムラ入り口に祠があり、その中に祀ってあった。「おん かかかび さんまゑい そわか」はお地蔵さんのことだとのこと。
2021-01-31のブログ>鷲尾の地蔵(道祖神と)
県道544号線沿い、いわゆる「ムラ境」にポツンと祠の中に。おそらく地蔵さんかなと。一緒に「道祖神」も祀ってあった。ひょっとしたら昔は別々の所に祀ってあったのかも・・・・
2021-02-18のブログ>大山下の地蔵堂
以前訪ねた時は、詳しいことは知らずに・・・。ちょっと調べてから再訪して、「お大師さん」と「お地蔵さん」を祀ってあることを理解した。
2021-03-18のブログ>倉谷の地蔵さん「ムラ」はずれの地蔵さん。倉谷地区から大上地区にぐるりと回る道から、右に里道(かな?)を歩むと春日江地区への山越えの道だろうか、その麓に小さな祠が祀ってあった。
2021-03-30のブログ>大山新・町ノ田の地蔵
川を挟んだ集落で祀ってあるのだろうか、大山新地区の川向橋の近くに小さなお堂があった。
国道176号線を南下した。町ノ田地区の公園の一角に地蔵堂が祀ってあった。
2021-04-10のブログ>寺内の地蔵
散策していたとき偶然目にした。民家の敷地内と思われるが、案外「ムラ」の地蔵さんかなと・・・。歴史的なことも聞いてみたいと思ったけれど、外には誰もおられないので我慢した。。
たくさんの地蔵さんに会うことができた。2021‐04‐12のブログ>八上内・八上上地区の地蔵
前回「かみさん」とチャレンジしようとしたら、足腰のバランスが悪くなり中止を余儀なくされ、今回再挑戦。 ***** まず、#十念寺の下の道路際で見守っておられた更に歩んでいると、また別の地蔵さんに出会うことができた
八上上地区の#阿弥陀寺にも祀ってあった
それぞれ名前もあり、その経緯もあるのだろうが、いつものことで判らない・・・・ 引き返して#東陽寺境内にも祀ってあった
2021-04-15のブログ>糯ケ坪の立江地蔵 渋谷の墓地の六地蔵ココを訪ねて、初めてネットで「立江地蔵」のことを勉強した。 「墓地にある六地蔵」は捉えていないのだが、ここ渋谷地区の墓地は最近整備されたのか、気になるので・・・
2021‐04‐23のブログ>大野の立江地蔵(22日分)
大野地区の境界にある地蔵さん。変な意味ではなくココも「立江地蔵」とある・・・
2021‐04‐23のブログ>坂本の地蔵
福徳貴寺の道路向かいにポツンと。かつての街道に当たるのだろうか・・・・
歩いてみると、車窓からの景色とは異なる。いろいろゆっくりと。。2021‐04‐26のブログ>知足・丸山・寺内の地蔵
*知足・厳島神社下の地蔵さん*丸山・阿弥陀堂の地蔵さん
*寺内・法蔵寺境内の地蔵さん
2021‐04‐27のブログ>郡家の猿目地蔵
不思議な名前と感じる地蔵さんに出会った。深い歴史があるのだろうと・・・
2021-04-30のブログ>野中の地蔵野中地区を散策した時、グランドの向こうにあった。
2021-05-03のブログ>大熊の地蔵
大熊の薬師堂を訪ねた時、その手前の道の隅っこに小さな祠で祀られていた。
2021-05-04のブログ>犬飼の地蔵
大正時代の『多紀郡四國八十八ヶ所順拝案内図』に載っている「第80番」を探して訪ねた時に小さなお堂(祠)に一緒に祀ってあった
2021-05-06のブログ>新荘の地蔵
新荘地区を散策。個人的には一番好きな風景の一つ。画像は2021年・2020年ですが・・・。 いつ見ても「ホッと」っするポイントの一つです。![]()
2021-05-09のブログ>東木之部の地蔵
東木之部の耳薬師堂を訪ねたときに遭遇。道路の隅っこに祀ってあった。ムラの境界になるので、いわゆる「塞ノ神」だろうかなと。
2021‐05‐23のブログ>倉本の地蔵(祠)
大正時代の多紀郡四国八十八ヶ所巡拝案内図に載っている倉本64番を探していて、地区会館の敷地の道路際に小さな祠があり、お地蔵さんが祀ってあった。会館には88ヶ所の札があった。当初はその祠が関係あるかと思っていたが、後日聞き及んで会館内にお大師さんが祀ってあるのだと知った。ではこのお地蔵さんは、どこに在ったのだろうか?
2021-09-15のブログ>北・医王寺の地蔵
久しぶりに歩いてみた。医王寺から県道を歩いての散策。駐車していないので、ゆっくりと・・・ 地蔵さんを祀ってあるのだと思うが、覗いてみてもよく判らない・・・・
2021-09-25のブログ>古森の地蔵さんたち
偶々、公民館の敷地の奥に祀ってあることに気づいた。地元の方に尋ねたら、あちこちにあったのを集められたとのこと。
2021‐09‐29のブログ>川原の子授地蔵
丹波新聞に載って初めて知った地蔵さん。訪ねてみたけど「留守」だった。どなたかが祈願のため、連れて帰っておられるのかなと・・・・こちらは、丹波新聞の記事で紹介された時の画像
2021‐10‐17のブログ>下立杭の地蔵さん
丹波焼陶器まつりに寒いのを我慢して行った。その時、県道沿いで会った地蔵さん。
「捨て地蔵」と 「祠の地蔵」
2021‐11-08のブログ>河原町の地蔵さん
河原町通りを抜けて、堤防道路に突き当たった所に「交通安全」を祈願された地蔵さん。
2021‐11‐14のブログ>細工所松ヶ鼻の地蔵
日照り続きの時、井戸と深いつながりのある伝承のお地蔵さん
2021‐11‐23のブログ>城東地区の3体の地蔵さん
日置の「立石の地蔵」さんと呼ばれているとのこと
上宿の「曽地川原処刑場跡の地蔵」と、上宿の「地寄地蔵」(2013-06-13でアップ済)
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井ノ上の「民家横の地蔵」
2022-01-04のブログ>今谷地区の2体の地蔵さん
今谷地区に入る道が二か所。そこにそれぞれ地蔵さんが祀ってあった。
西の地蔵さん![]()
東の地蔵さん
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2022-01-16のブログ>新荘・野間の縁結び地蔵
ムラ単位の争いから「縁切り地蔵」そして和解した証に「縁結び地蔵」
2022-01-22のブログ>八上内・八上下の地蔵
そうれぞれ意味があるのだろうが、その謂れはいつものことながら判らない![]()
2022‐02‐11のブログ>
追入の六地蔵あとで知ったのだが、古い時代の六地蔵とのことだ
追入の杉地蔵大乗寺への参道の途中で、右側に大きな樹木の下に祀ってある
2022‐03‐25のブログ>宮代の地蔵
宮代の八幡神社の向かいにある小山の麓にポツンと祀ってある
2022‐04‐30のブログ(04/09)>北新町・南馬出の地蔵
南馬出から眺める篠山城跡の桜が素晴らしいと思っている。コロナの関係で2年ぶりに訪ねた。ポツンと祠に祀ってあるのだが、当然のことながら、明治時代以降に設置されたものだろうが、その謂れは判らない・・・
2022‐05‐31のブログ(05/23)>下小野原の地蔵
まさに「路傍のお地蔵さん」。小学生の登校前集合場所の道路向いに座って見守っている。横にはゴミステーションもあり、地元のみんなが知っているだろうなと・・・
2022-06-30(06/17)のブログ>市野々の地蔵堂
ささゆり観賞をさせてもらった時に、覗かせてもらった
2022-07-19のブログ>立金の有明地蔵
市野々から本明谷に抜けるルートをわざわざ通った。なぜ、「有明」なのか興味深い
2022-08-10のブログ>草野の地蔵(祠)
草野地区の旧道沿いにポツンと
2022-09-14のブログ>河原町の地蔵(祠)
東沢田地区との境に「観音橋」があり、そこにポツンと祠がある。
2022-09-17のブログ>草野駅隣接の地蔵
草野駅の西側北端に隣接するように祀ってある
2022-09-24のブログ>下板井の延命地蔵
「延命橋」が近くにあり、この地蔵さんからの命名かな
2022-09-27のブログ>西古佐・旧道沿いの地蔵 道標隣接の地蔵
旧道沿いに田畑を見守るように・・・道標の横に
2022-10-22のブログ>オロ峠の地蔵
峠の道は大幅改修されているので、元はどこにあったのか・・・・。地蔵尊本体は比較的新しいが、その横に祀ってあるのは何か判らないが・・・
2022-10-29のブログ>泉橋近くの地蔵
車で通過するとき、いつも気になっていた。今回やっと停車して拝観した。泉橋は最近架けなおされたから別の所にあったのかも。一緒に祀ってあるのは付近で祀ってあったものだろうか・・・
2022-11-02のブログ>宮田地区境界の地蔵
西谷地区との境界に祀ってある
2023-01-04のブログ>本荘の延命地蔵
あらためてネットで調べると「生まれた子を守り、寿命を延ばす」と・・・
2023-01-13のブログ>釜屋の地蔵
三叉路に道標と並ぶように祠に祀ってある地蔵さんは、別のところから移設されたとのこと稲荷神社の鳥居の横のお堂に隣接して祠に祀ってある首無地蔵さん
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2023-01-17のブログ>立町の縁結び地蔵
移住者にとって、全てのことが説明を読んでも、そう当時の困難さはなかなか理解できないが・・・・
2023-02-01のブログ>真南条中の地蔵さんたち
歩くと地蔵さんに次々と出会った![]()
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2023-02-25のブログ>大山上の地蔵さん
ムラの葬儀に使用する輿などを収容する輿堂があった場所の山際に祀ってある
2023-03-10のブログ>古市の大石地蔵
旧道沿いに祀ってあり、鉄道との関係もあるととのこと。
2023-03-14のブログ>池上の地蔵2体
いずれも祠に安置されて歴史を感じる姿・・![]()
2023-03-22のブログ>長安寺の地蔵と力士碑
墓地の下になる道路沿いに祀ってある
2023-03-27のブログ>油井の太吉地蔵(03/24)と、山沿いの地蔵さん(03/30)
旧道沿いで、偶々会った方に聞くと、その方の祖父が建てられたと・・・山沿いに祀ってあるのだが、元は別の所に祀ってあったのかなと・・・
2023-04-23のブログ>下小野原・会館前の地蔵
会館前に地蔵さんと祠と石板が祀ってある
2023-04-27のブログ>和田の地蔵
和田地区のムラ境の県道路沿いに祀ってある
2023-04-29のブログ>福住の船岡地蔵
福住にある船岡山の石段の横に祀って・・・・如来寺の境界に祀ってある地蔵
2023‐05‐09のブログ>本郷の地蔵さん
忠魂碑の側面にあるので、何か関係があるのか、それとも道路整備の兼ね合いかも・・・
2023-05-31(05/17)のブログ>上小野原の地蔵尊
山沿いにいわゆる旧道があり、そこにポツンと祀ってある
2023-05-19のブログ>下板井の地蔵さん
地区公民館の近くの県道289号線にポツンと祀ってある
2023-05-23のブログ>垣屋の地蔵堂とイボ取り地蔵尊
高坂地区から垣屋への道沿いに地蔵堂公民館前のイボ取り地蔵尊
2023-06-30(06/07)のブログ>辰巳の地蔵さん
グランドを見守っているように感じる
2023-06-14のブログ>住山の子安地蔵菩薩
元は松尾山での小鹿物語の伝承を伴う地蔵さん
2023-06-18のブログ>上板井の地蔵尊
旧道沿いに祀ってある。何故か頭部がない。隣には六十六部廻国塔が祀ってある近くの交差点には道標もある。
2023-09-13のブログ>真南条上の地蔵尊
国道から龍蔵寺に向かって進む道と、ムラ中の道(たぶん旧道)との交差点に祀ってある。白い前掛けが気になるのだが・・・・
2023-09-13のブログ>西野々の地蔵さん
旧道沿いの民家の前庭の隅に祠があり、少し破損しているが丁寧に祀ってあった
2021‐04‐10のブログ>熊谷の野仏(?)
熊谷地区の阿弥陀堂を訪ねたあと、佐倉地区に歩んでいた時に、左手にポツンと祀ってあった。
2021‐09-29のブログ>安口公民館敷地裏の野仏(?)
篠楽の浪漫隊の仲間と『ぶらり散歩』している途中、公民館敷地の裏に祀ってあった。
2021-11-03のブログ>栗柄の野仏(?)
栗柄地区の佐貫橋を渡り、南に進んでいると、山側にポツンと祀ってある。
2021-11-12のブログ>栗柄の野仏(かな?)
「栗柄ふれあいセンター」のすぐ近くの県道沿いに数基の石造物。墓碑かな? 賽の神かな?更に北へ上ると、右手に民家横の樹木の下に祀ってあった。
2022-11-26のブログ>日置の大銀杏の下に野仏などと奪衣婆
大銀杏の下に奪衣婆が祀ってある。こちらは個人が祀られたとか。その傍らに集めてある野仏や地蔵さんそして五輪塔などは付近に祀ってあったのっだ老かなと・・
2022-12-07のブログ>草野の野仏(地蔵?)
旧道沿いの土手にポツンと祀ってある。地蔵さんかも知れない・・・
2023-03-10のブログ>古市・大石桜の傍の野仏
旧道沿いのムラ境に大きな樹木の桜(古木)の傍らに祀ってある
2023-06-14のブログ>住山の野仏
住山の道を進んでいくと山沿いを小さな公園にされており、そこに野仏が祀ってある
***地区別に並べてみると・・***
味間新の地蔵堂<2017‐07‐10
味間南の地蔵堂<2020‐12‐21
油井の地蔵2体<2023-03-27
池上の地蔵2体<2023-03-14
泉橋近くの地蔵<2022-10-29
市野々の地蔵堂<2020-06-30(06/17)
市原の瀬戸地蔵<2021‐09‐03
犬飼の地蔵<2021-05-04
井ノ上の地蔵<2021-11-23
今谷の地蔵2体<2022‐01‐04
岩崎の地蔵<2021-01-07
追入の六地蔵と野仏<2022-02-11
大熊の地蔵<2021-05-03
大野の立江地蔵<2021‐04‐23
大山上の地蔵さん<2023-02-27
大山下の地蔵堂<2021‐02‐18
大山下の地蔵(交通安全)<2020‐03‐01
大山新・川向橋横の地蔵<2021‐03‐30
遠方・阿弥陀堂の地蔵<2020‐10‐16
垣屋の地蔵堂とイボ取り地蔵尊<2023-05-23
釜屋の地蔵<2023-01-13のブログ
上板井の地蔵尊<2023-06-18
上小野原・オロ峠の地蔵<2022-10-22
上小野原・旧道の地蔵尊<2023-05-31(05/17)
上宿の地寄地蔵<2013‐06‐13
上宿の曽地川原処刑場跡の地蔵<2021-11-23
川阪の地蔵堂<2013-07-18
川原の子授地蔵<2021‐09‐29
河原町の観音橋横の地蔵<2022-09-14
河原町の交通安全地蔵<2021‐11‐08
北・医王寺の地蔵<2021‐09‐15
北新町・南馬出の地蔵<2022-04-30
草野の地蔵(祠)<2022-08-10
草野駅隣接の地蔵<2022-09-17
草野の野仏(地蔵?)<2022-12-07
熊谷のゆるぎ地蔵<2015‐02‐28
熊谷の野仏(?)<2021‐04‐10
倉谷の地蔵<2021‐03‐18
倉本の地蔵<2021‐05-23
栗柄の野仏(?)<2021‐11‐03
栗柄の野仏(かな?)<2021‐11‐12
桑原の地蔵堂<2015-09-10
郡家の猿目地蔵<2021‐04‐27
古森の地蔵<2021‐09‐25
細工所松ヶ鼻の地蔵<2021‐11‐14
坂本の地蔵<2021‐04‐23
渋谷墓地の六地蔵<2021-04‐15
下板井の延命地蔵<2022-09-24
下板井の地蔵さん<2023-05-19
下小野原の地蔵<2022-05-31
下野原・会館前の地蔵<2023-04-23
下立杭の捨地蔵<2021-10-17
下立杭の地蔵(祠)<2021-10-17
新荘の地蔵<2021-05-06
新荘・野間の縁結び地蔵<2022-01-16
住山の子安地蔵菩薩<2023-06-14
住山の野仏<2023-06-14
曽地中の長福地蔵<2017‐09‐10
曽地中・長和寺の薬師如来地蔵<2015‐02‐05
辰巳の地蔵さん<2023-06-07
立金の有明地蔵<2022-07-19
立町の縁結び地蔵<2023-01-17
知足・厳島神社下の地蔵<2021-04-26
長安寺の地蔵と力士碑<2023-03-22
町之田の地蔵堂<2021-03-30
寺内・法蔵寺境内の地蔵<2021‐04‐26
寺内・法蔵寺の岩舟地蔵<2014‐05‐16
寺内の地蔵<2021‐04‐10
西古佐・旧道沿いの地蔵 と 道標隣接の地蔵<2022-09-27
西野々の民家前庭の地蔵さん<2023-09-17
二之坪の柿の木地蔵<2013‐04‐28
野中の地蔵<2021-04-30
波賀野新田の地蔵<2020-10-06
安口公民館敷地裏の野仏(?)<2021-09-29
日置の千体地蔵<2020‐09‐30
日置の立石地蔵<2021‐11‐23
日置の野仏とか奪衣婆<2022-11-26
東木之部の地蔵<2021-05-09
東吹の地蔵(道祖神も)<2020‐09‐27
福住の船岡地蔵と如来寺境界にある地蔵<2023-04-29
古市・宋玄寺の日限地蔵<2020‐10‐06
古市の大石地蔵と野仏<2023-03-10
本荘の延命地蔵<2023-01-04
本郷の地蔵<2023-05-09
真南条上の地蔵尊<2023-09-13
真南条中の地蔵三基<2023-02-01
丸山・阿弥陀堂の地蔵<2021‐04‐26
宮代・地蔵<2022-03-25
宮田・光照寺の地蔵<2017-11-10
宮田地区境界の地蔵<2022-11-02
糯ケ坪の立江地蔵<2021-04-15
八上内・十念寺下の地蔵<2021‐04‐12
八上内の地蔵<2021‐04‐12のブログ
八上内のみちくさの地蔵<2022-01-22
八上内・東陽寺の地蔵<2021-04-12
八上上・阿弥陀寺の地蔵<2021‐04‐12
八上上の小さな地蔵<2013-06-13
八上下の旧道沿いの地蔵(2体)<2022-01-22
鷲尾の地蔵(道祖神と)<2021‐01‐31
和田の地蔵(県道沿い)<2023-04-27
- 2023-09-17 :
- 神社仏閣・城跡・古墳・歴史文化